日々の暮らしに福を呼ぶ
愛知県 稲沢市で
お料理『喜想菴』という
会席料理店の女将をしております
鈴木美和です
ご来訪ありがとうございます
はじめましてのプロフィール
はじめまして
愛知県で会席料理を家族で営む
お料理 喜想菴 女将の鈴木美和です
今では
日々の暮らしに福を呼ぶ
会席料理おもてなし案内人
喜想菴 女将 みわ姉として発信をさせていただいております
改めまして
プロフィールを書きました
私のヒストリーからおつきあいください
女将業のルーツ
接客業を始めたのは中学時代
喫茶店やファミリーレストランでバイトをしてました
その後
進学校におりましたので
当然のように大学受験にチャレンジし
絶対受かると思っていた
大学受験の失敗から大きく方向転換し
『料理の東大』と言われた
『辻調理師専門学校』入学
ここからが
本格的に接客業に関わる人生の始まりです
料理学校時代は
親に頼らず
アルバイト進学という道を選択しました
学校から紹介されたのは
京都で一流の芸妓として活躍された
女将さんが経営される日本料理のお店
着物を着せてもらい
日本料理で使う大切な器の扱い方や
おもてなしの基礎を学びました
卒業の時には
はじめは叱られてばかりだった当時の女将さんに
『残ってくれないか?』
と言われた時の喜びは今でも覚えています
ですが
家庭の事情もあり
愛知県の自宅へ帰省するために
名古屋の
当時、茶懐石もこなす会席料理のお店に就職
その後
親会社であるクラブのマダムに引き抜かれ
マダムの秘書を10年間務めました
そこは
会社役員のみならず
政治家や芸能
文化で活躍する企業人をお客様にもち
『夜の商工会議所』として
雑誌
『プレジデント』にも紹介されるほどのクラブ
そうそうたるお客様に
万が一失礼ががないように一流のおもてなしを学び
それだけでなく
一流の企業人が成功するために
どんな福を呼ぶ事をしているのかを学んできました
学生時代の学びでは知識が足らず
本当によく叱られましたましたが
退職から30年たった今でも
マダムのには可愛がってもらっていて
いろんな気づきを学んでいます
着物を着れない女将業のスタート
30歳のとき
頑固で陶芸や骨董をこよなく愛する主人と結婚
3人の子も授かり
末の娘が2歳だった35歳のとき
主人と念願だった『喜想菴』を開店
喜想菴開店当初は
着物もろくに着れず
器やお軸の知識などありませんでした
あるお抹茶の先生からは
「ご主人がこだわられて器も素晴らしいのに、女将である貴方はもう少しお勉強されないとね」
という言葉をいただいたりと痛い経験もしました
とはいえ
子育てに、お店の仕込みや接客に追われる余裕のない日々
それでも
少しづつ器や日本料理の基礎や
おもてなしの心を主人やお客様からも学び
少しづつ知識を増やしていき
和の実践マナーとして語れるほどになりました
本当にありがたい事です
予約のとれないお店が
開店当初は田舎で会席料理が珍しかったのか
予約のとれないお店として名をあげました
ですが
5年後主人の入院を期に経営が悪化していきます
暇な日が続き
闇雲に営業に回っても
飛び抜けて売上に繋がらない
こんなに良いものを提供してるのに何がだめなんだろう…
おまけに
主人ばかりが陶芸や木工に自転車と自分の好きな事ばかりしてる…
次第に
休みの日も家のことで
自分の時間などなかった頃
私ばかり犠牲になってるという気持ちになっていったのです
おまけに
家族のため
お店のために生きてきたのに周りからも認めてもらえない
不満は膨らむ一方で
ついには死んでしまいたい、、、
と、ことあるごとに思っていました
ステージ3の乳がん発症
そうしてるうちに
私自身
2016年に
ステージ3の乳がん発症
4センチの塊ができてました
それは
皮膚の上からでもわかるほどの大きさです
死にたいと思っていた
願いが叶ってしまった、、、?
そんな事を考え落ち込むこともありましたが
ここから人生が大きく変わった気がします
抗がん剤治療からはじめましたが辛くありませんでした
主人や母が支えてくれましたし
かつらやつけまつげをつけて
お店も休まずでていましたから
お客様との会話が私を元気づけてくれてたからです
てすが
私の1度目の手術の後
私の闘病を支えてくれた母にすい臓がんが見つかり
発見からわずか1ヶ月で逝ってしまいました
母は私の身代わりになってくれたのかもしれない
そう思うほどに
母の死は
あまりに急で非常にショックでした
母の死を乗り越え一念発起
2度の
乳がんの手術を経て
抗がん剤や放射線治療 ホルモン剤の治療まで
全て経験しました
そして
元気になって
このままではだめだ!
と
お店の経営の立て直しからはじめようと決意
イベントを開催してすることにしました
日本酒の会です
日本酒は
日本の伝統食事文化の象徴であり
神様との繋がりをいただくツールです
だからこそ
日本酒は特別なもの
そんなイメージもあって
これにこだわっていこう!と決意
店は
交通の便が悪く車で来られるお客様ばかりでしたが
車でしか来れない場所にあるにも関わらず
それでも
ノーマイカーでお越しいただき
常に満席で大盛況という結果になりました
女将がSNSビジネスを学ぶ
ですが
単発で終わるだけでは駄目だと思い
2019年から
本格的にビジネスの勉強を始めました
マーケティングやブランディングを学び
ホームページもリニューアル
馴れない
SNS発信もはじめて
コロナ禍のなかオンラインショップのオープン
なんと!
発売当初からちらし寿司はすぐに完売という有難いことに
2021年は
オンライン販売のための施設設備の為に
クラウドファンディングにもチャレンジし
たくさんの方々に支えられ
目標達成額197%を達成することができました
2023年 リトリートコース開設
和の心を伝えたい
昔から引き継がれた
会席料理に込められたおもてなしの素晴らしさを
伝えたい想いでリトリートコースとして
会席料理をいただく時のマナーや
茶道体験を盛り込んだコースを開設しました
会席料理には
和の文化が詰まっている
それを知らないのがもったいない!
おかげさまで
お子様連れから海外の方まで
少しづつですが
体験したいとお申し込みをいただいております
本来の自分として生きていく
私だってやればできる
という自信になって
この成功体験は自分にとって大きな成長となりました
今は
自分のこれからの人生にも目を向け
家族の為に生きてきたと思い込んでいた人生から
自分をギュと抱きしめることができる人生へ
自分軸を太くしようと実践中
実は
休日ランチも
一人では家族に申し訳ないって思ってました
これからは
家族への感謝の気持も忘れずに
おひとり様時間のみならず
夫婦ふたり時間も大切にしながらも
日々の小さな幸せを積み重ねる事をして
本当の意味で
本来の自分として生きていくことをしていきます
ブログで伝えていきたいこと
2024年
接客業43年のキャリアから
過去の私のように
自分らしく生きられてない人や
それすらも気づいてない人
毎日頑張ってるのに報われないと思ってる人
夫婦ふたり時間が苦痛な方
そんな方への
の助けになりたいと思ってます
闇雲にアレコレを手をつけても
いい結果にならない
一流の企業人から学んだ
日々の暮らしに福を呼ぶ生活のスキルを伝えていきたい
まず必要なのは自分を知るところから
将来の目標
お店の目標
上記のクラウドファンディングだけでなく
2024年3月にも
クラウドファンディングに挑戦
学校では教えてくれない!会席料理のおもてなしを次世代へ語り紡ぎたい
こちらでも
おかげさまで
100名様近くのご支援をいただき
目標金額を超えた
926800円の資金を集め
ドキュメンタリー映像を制作しました
これを
きっかけに
『食育は、食を整えるだけでなく、和の空間の中での食事を楽しむ環境も大切』
事を伝えたい
今の
子育てを頑張る現役の方へ
和のおもてなしを伝えるコミュニティを作りたい
自身が
どれだけのことができるかわかりませんが
この志しに賛同してくれた
和っしょいプロジェクトメンバーの方々が
支え
力を貸してくださるので
これからは
もっとそんな人を増やしていきたいと思っています
みわの夢
ここで敢えて
『みわの夢』とさせていただいたのは
妻でもなく
女将でない
『個』である鈴木美和の願いだから
あえて
ここは
こんなに表現にさせてもらっています
これ
実は地味に大切なこと
そして
改めまして
うちの夫はクリエイター
木工も陶芸も庭のデザインや塀
能面うったり、大津絵も書きます
令和の『魯山人』とも言われ
そんなユニークな
日々の夫をもっとたくさんの方に知ってもらいたい
そして
そんな夫の個展を開催してするのが夢です
喜想菴の女将さんはどんな人
どんなに地位のある方でも!
初対面でも!
臆さず話せる社交性
好奇心旺盛で
こうと決めたら突き進む意志の強さをもつ
ただし
早とちりで、かなりのおっちょこちょい
趣味は
食べ歩きや読書
ジャンルはファンタジーと時代もの
アニメ好きで
週間少年ジャンプ歴24年
好きな事は
シンプルな暮らし
人を応援する事
日本酒をのんびり飲んでお昼寝する事
以上
どうぞよろしくお見知りおきくだされば嬉しく思います
最後まで
読んでくださった方に心から感謝申し上げます
ありがとうございます