御木本 澄子先生☆ | ピアニスト木曽真奈美オフィシャルブログ

ピアニスト木曽真奈美オフィシャルブログ

ピアニスト木曽真奈美のコンサートの感想や、日々感じたことなどをお届けします

皆さま、こんにちは



ミキモトメソッドの開発、創始者であり

ミキモトパールの元社長夫人、現名誉会長であった

御木本澄子先生が


4月に天国に旅立たれました

享年95歳




「お別れの会」がありました




会場は東京會舘



先生らしいステキなところですキラキラ






お花に囲まれた先生




お顔を拝見していると

先生との数々の思い出がよみがえり


感謝と寂しさで

胸がいっぱいになりました




先生には

高校生の時から

お世話になりました



岐阜から初めて親子でレッスンに伺った時の

衝撃は

ずっと忘れません



その当時は

ミキモトパールの社長夫人でしたから


きっとすごいお宅だろうとは

親子で「覚悟」していましたが



それはそれは大きな御門の

お屋敷に



、、、、滝汗(ひぇーー)




お手伝いさんに案内されたお部屋に

恐る恐る入ると



そこはまるで別次元の


本物の貴族の世界が広がっていました‥




緊張しながらソファに座ってみると

あり得ないくらい

フッカフカ‥




あんぐり開いた口を

必死に閉じて

無言で固まっている親子


 

そこへ先生が

ロングスカートに立ち襟の白いブラウス

サングラス(色つきメガネ)という


絵に描いたような貴族スタイルで


私たちに目も合わせず、ツーーーンとして


屏風の向こうから

颯爽とご登場されましたビックリマーク




思わず


ははーー





ひれ伏す気分でしたよ




岐阜からでていった高校生の親子には

カルチャーショックが

大きすぎました






その後は

新幹線で定期的にレッスンに通い


夏休みには別荘にもよんで下さり


厳しくも、とても愛情深く

教えて下さいました



そのおかげで

芸大にも入ることができました



御礼のご挨拶に

親子で伺った時


先生に

「あなたは、氷の上を滑るように

芸大に入ったんだから

これからもがんばらなきゃだめよ」


と言われたことは

今でも忘れません



「本当にその通りだ!」

と自分でも思ったからです




もちろん

その後もずっとレッスンや

先生のお宅で行われるセミナー等に

通っていました





サントリーホールで

ラフマニノフのピアノ協奏曲を

コバケンと共演した時には

先生もお越し下さり


楽屋にもいらして


「あなた、よく弾いたわねー!」




「あんなに弾けないって泣いてたのに‥」

(ひとこと多い‥笑)

 


と笑顔で褒めて頂けたことも

忘れません


それまで15年以上

先生に褒められることが

ほとんどなかったので

びっくりしたのです





本当に偉大な先生でした





会場の思い出のパネルには

ミキモト社長夫人として

天皇皇后両陛下はじめ

各国の国王をご案内なさったお写真も





また先生のお宅には

アシュケナージ、ゲルバー、などなど

世界の著名なピアニストが来日すると

先生のお宅へ

手を測定しにいらっしゃっていました






先生のおかげで

今の自分がある



感謝してもしきれません




「大切な人が亡くなった時というのは


自分の生き方が

問い直されている時」



と聞いたことがあります





生涯、進化し続けていたパワフルな先生



自分はもっともっと精進しなければ!


と、気持ちを新たにしました






御木本先生、ありがとうございました