アーティストに対するストーカーや ハラスメント行為について
アーティストというのは、常に酷評にさらされる可能性があります。


自分の作品を展示したのですから、それに対する評価は、つきまとうのであります。


いくら自信作であってもびくびくしていたりもするのであります。自信作常に堂々となど出来るはずがありませんし芸術家心は鋭敏なのです。


しかしながら そういう時に必要のない、酷評 をする輩が一定数います。

私も若い頃 そうした経験をしました。 つまり作品に対して何癖をつけるという行為です。


それは、作家同士でもあります。励ましにも何にもなりません。

若いアーティストをいじめてるだけに過ぎないのです。そういう けしからん先輩アーティスト、そのアートを見たギャラリーの 厳しい意見重要ですが、アーティストがひどく傷ついた場合、それがハラスメントに当たるのかどうかということです。


また付きまとい、ネットでの誹謗中傷等も現代では起こりうるでしょう。ニュースでは美術館大学におけるハラスメントがテーマになっていました。作品見方解釈によってどうにでも評価が出来ます。

悪意に満ちた、若きアーティストを蹴落とすような事をいう行為は付きまとうでしょう。


以前野放しでしたが、現在は昔のような状況許さないでしょう。好みではないアートに出会った場所、そうした事が起こります。


今は世界的に有名になったアーティストでさえ過去酷い評価を受けて晒し者にされものです。


特に女性の場合はそういう目に合いやすのかもしれません。さて、どこまでがハラスメントであるのか、正しい評価なのか、それはアーティストが受けたダメージよるでしょう。アート展示は人前で裸になる行為に等しいのです。自分がさらけ出されているのですから、勿論酷評覚悟の上です。


現代の若者ではおそらく過去のこうした忌まわしい酷評 には慣れていないでしょうし、生れる必要もありません。


時代が変わったのです。ではありません 厳しい評価と思って言ったその言葉がハラスメントに当たる などということはしばしばあるかもしれません。

また、会場で酒を飲む場所、先輩芸術家が酔いに任せてどうでもいいようなひどいことを言ったりしたものです。


大抵の場合、受け流すことが できますが、さて芸術家として受け流していいものかどうか、それも問題なのです。


私の経験から言えば、ほとんどの場所、他人の意見ですから、本気で聞く必要がなかったと言った方がいいでしょう。


芸術の場合はある程度聞く耳を持たない方がうまくいく場合が多いのです。

自分の表現ですから、自分が表現者なのですから 別の表現者の目線で、何と言われようと、それは本来関係ないことなのです。


そう強く自分の自身に言い聞かせたとしても傷つくときは傷つきます。


命を絶つものさえいるのです。 ガラスの心で作品を作っている可能性もあるのです。 表現者とはそういうものなのです。 時にアーティストは酷い経験します。


作家を育てるどころ、作家を潰してしまうことすら あるということを考えておかねばならないのです。