7000年前の縄文海進によって海は陸深くに達していた。

関東平野北部縄文遺跡は地表から3メール付近、だが丘陵地帯はさらに浅い。
江戸時代の遺跡と来たら数十センチ。

かつて遺跡の発掘は大規模開発を一年以上遅らせたが、近年無視されて開発が進められているようだ。
沢山の発掘現場あったものだ。

三内円山遺跡は丘陵地帯にありそ周辺は人の手が加わった森が広がっていた。
縄文人の食料はく木の実や獣肉や魚介類。1日3500カロリー食物摂取していたという。

獣追って野山駆け巡るには高カロリーの食べ物が必要だったのだ。

発掘現場は都心に近い丘陵地帯にあり、近隣多摩ニュータウンがあった。
山奥でもないのに狩猟が許可されといて、発掘をしていると、時々ズドーン音がし、葉をパラパラと鳴らした。散弾銃である。

物騒な場所にある遺跡は日当たりが良く、近くに小川も流れており縄文時代の一等地言える。

重機械で大まかに掘った後は手作業。スコップや小さな園芸用シャベルと手ぼうき丁寧に地層撫でる。

住居周辺はくぬぎ林で木の実の成る木に囲まれ暮らしていた。

日本の植生という名著がある。
日本全国山をくまなく調査した情報が満載されている。それによると、日本の本来植生は5%(記憶による)程度という。

縄文人せっせと森を加工していたのだ。
木を切っていたのは伐採道具の石斧。

石斧ついては後に触れるが、木を伐採し植林をしていたのだ。

縄文時代捨てたものではない。

遺跡の中で少しくぼんだ場所がある丁度良い窪地は休憩場所として人気があった。
実は縄文人トイレなのだ。
トイレや後見捨て場極めて重要で、縄文人食文化がわかるのだ。

縄文人トイレ後でボーッと空を見上げると、紅葉したクヌギの葉が風邪に揺れる。

縄文人ののどかな暮らしが想像できる。