私は彷徨っていた、さっきまで新宿駅の近くにあるデパートの売り場にいたのだ。


トイレを探している内に、いつの間にか、のどかな田舎の道を歩いている。いつの間にか。


草を揺らす風が、懐かしい野の匂いを運んできた。

子供時代に過ごした田舎の風だ。

腕の産毛を撫でる心地良い風。

軽い足どりで農道の細い道を下っていると、青いトタン屋根と古びた木でこしらえた、小屋の窓辺に鎮座する仏像の頭と手が見えた。



仏像の頭にはティアラのような銀色の飾りがのせられていた。切り絵のように精緻に細工された金属製の飾りが上品な顔をひきたてていた。



頭部の脇には手が置かれ、やはり銀色の飾り爪が嵌め込まれていた。

飾り爪を切り抜いたブリキ板が傍らに置かれていたので、あの精緻な飾りがブリキでつくられていたことがわかった。

安い素材の代名詞であるブリキ。

だが、安っぽさは微塵も感じられず、芸術の域まで加工されていた。

小屋とは不釣り合いな仏像である。

農道の先から青年が近づいて来た。

「気になりますよね、これ僕がつくったものです」

「あっそうですか、つい見とれてしまって」

まだ20歳前後だろうか、青年は野良仕事で赤銅色に焼けた肌と真っ白な歯、癖のあるちゃ色味がかった髪をしていた。

履き古された細身のジーンズに、ハーフバスケットシューズ、日本人場馴れした細く長い脚。一見するとか東南アジアの人かと思ってしまうだろう。

コンポーズブルーのポロシャツを着て、抜けるような爽やかな笑みで話しかけてきた。

メンズノンノのモデルといってもおかしくない好青年だ。

「よかったら工房を見てゆきませんか」

屈託のない笑顔で見ず知らずの私を誘ってくれた。路肩には様々な雑草の花が咲いていている。

坂を戻り小屋を左に回ると工房の入り口があった。こちらから見ると随分印象が違う。小屋と言うより、小社な家と言った感じだ。

ガラガラとガラス戸の引き戸を開けて中に入る。

工房は外観とは違い、しっかりした造りだ、天井を見上げるとうねった梁が見えた。うねってはいるものの丈夫そうな木材を使っている。

丁寧に造り込まれ、風格すら感じる。

工房の中には彫金や木工の道具がところ狭しと置かれ、炉端のようなスペースがあった。

木綿の絣の薄い座布団に座り、そこで青年と雑談を交わした。

お茶を飲みながら、青年は身の上話を始めた。年齢が息子ほど離れているのに、なぜか昔からの知り合いのように接する自分が不思議で、つい自分も身の上話を話してしまった。

何故か懐かしさを覚えるこの空間にいつしか身を委ねている。この心地よさは一体なんだろうか。

青年の仕事はレーサーだそうだ。でもなぜか仏像の世界に魅了され、こんな所に工房をつくっていた。

農道はなぜか、新宿駅の裏手にあったのだ。僕はデパートの中でトイレを探していたのだが、見つからないのであちこち歩いていたら、いつのまにか野道を下っていてこの工房を見つけたのだ。

僕は自分がガンであることや、かつて会社を経営していたことなど、これまで誰にも言わなかったことを話した。青年はだまって私の話を聞いてきてくれた。



「人生色々なんですねぼくは若造なんで、思いつきで生きているだけなんです、一貫性がないのが悩みで、こんな事をしているんです」



「立派なものですよ、誰にもできる仕事ではありませんよ。わたしは老練な方が手掛けた仏像かと思いました。かつて素人の作品を見ましたが雲泥の差です」


「お世辞を言われると照れてしまいますが、本当に一所懸命精根込めて造っておりますので素直に嬉しいです」

「立派なものですよ。なんて上目線失礼しました、悪い癖です」

「いえいえ僕の年齢で完成度はまだまだです、此れからがどうすべきか悩んでおります」

贅沢な悩みだとわたしは思った。

出来ればこの青年と代わってみたら充実したら人生を送れるだろうかと思った。

しばらく話をしていたが、トイレを探していた事を思いだした。膀胱が破裂しそうになっている。

「すみません、ちょっとトイレをお借りできますか」

「その辺で済ませばよかったですね、トイレはそこを真っ直ぐいったい右手にあります」

工房の奥に進みトイレに入り用を済ませた。トイレの壁に古い新聞が張ってあった。

「仏師、菅原景山の息子、サーキットで死亡、まだ20歳だった」



と見出しに、菅原景山の息子、義直の写真が掲載されていた。

これは何だろう、慌ててトイレを出ようとして、つまずいて倒れ、しこたま頭を打った。

「おーい、あんた大丈夫かい」

お店が並ぶ狭い路地でわたしは立ちすくんでいた。どうやら転んで頭を打ったらしい。ボーッと前を見ると、"思い出横丁"と書かれていた。