橘嘉智子は786年に奈良麻呂の変で凋落した橘氏に生まれましたが、第52代嵯峨天皇の寵愛を受けて皇后にまで上り詰めました。

 嵯峨天皇の死後も仁明天皇の母として影響力を発揮し、承和の変ではその決断が結末を左右しました。

 ”橘 嘉智子”(2022年10月 吉川弘文館刊 勝浦 令子著)を読みました。

 内舎人の橘清友を父とし田口氏を母として生まれ嵯峨天皇の夫人となり仁明天皇と正子内親王を産み夫の死後太皇太后として重きをなした橘嘉智子の生涯を紹介しています。

 尼寺檀林寺を創建するなど篤く仏教を信仰し、晩年には橘氏の教育施設である学館院を設立ましした。

 勝浦令子さんは1951年京都府生まれ、1973年に東京女子大学文理学部史学科を卒業し、1981年に東京大学大学院人文科学研究科博士課程を単位取得退学しました。

 高知女子大学専任講師・助教授、東京女子大学助教授・教授を経て、2019年3月に定年退職し、東京女子大学名誉教授となりました。

 2001年「日本古代の僧尼と社会」で東大文学博士(文学)で、専攻は日本古代史です。

 橘嘉智子は平安初期の皇后の中でも最も注目すべき人物であるといいます。

 橘諸兄は光明皇后の異父兄で、悪疫で藤原不比等の四子が死没して藤原氏が衰退したのち右大臣となり政権を握りました。

 藤原広嗣は藤原宇合の子で、橘諸兄と対立し吉備真備・玄昉らを除こうとして反乱を起こしました。

 橘諸兄は藤原広嗣の乱を乗りきり左大臣正一位に至って全盛を極めましたが、藤原仲麻呂の台頭によって実権を失いました。

 藤原仲麻呂は藤原南家に生まれ、天平文化華やかな時期に大仏造立などに功績を残しました。

 光明皇后の信任を得て勢力を拡大し、孝謙天皇の時に紫微中台の長官となりました。

 橘諸兄の長男の橘奈良麻呂は参議となり、藤原仲麻呂と対立しました。

 757年に藤原氏に対する不平分子を糾合して仲麻呂らを討とうとしましたが、事前にもれて獄死しました。

 藤原仲麻呂は橘奈良麻呂の乱を未然に押えて淳仁天皇を即位させ恵美押勝の名を賜り、太政大臣となって専権をふるいました。

 橘嘉智子は786年生まれ、橘奈良麻呂の孫で贈太政大臣・橘清友の娘です。

 祖父の橘奈良麻呂が起こした政変計画で罪人となったことから、停滞気昧となっていた橘氏に生まれ幼くして父の清友も亡くしました。

 しかしよい人柄や指導力と天性の美貌に恵まれ、また高祖母県犬養橘三千代や曽祖母藤原多比能に繋がる藤原氏の人脈もあって、桓武天皇皇子の賀美能親王に嫁しました。

 親王は嵯峨天皇として即位し、即位後の809年6月に夫人となり、正四位下に叙されました。

 翌年に従三位に昇り、815年7月に皇后に立てられました。

 橘氏出身としては最初で最後の皇后で、世に類なき麗人であったといわれます。

 桓武天皇皇女の高津内親王が妃を廃された後、姻戚である藤原冬嗣らの後押しで立后したといわれます。

 嘉智子の姉安子は冬嗣夫人美都子の弟三守の妻でした。

 立后の宣命には、同じく臣下から皇后となった聖武天皇の皇后・藤原光明子の先例を踏襲しました。

 嵯峨天皇との間に仁明天皇(正良親王)・正子内親王(淳和天皇皇后)他2男5女を儲けました。

 嵯峨天皇の淳和への譲位に伴い823年4月に皇太后となり、仁明天皇即位により833年3月に太皇太后となりました。

 仁明天皇と淳和天皇皇后正子内親王の母后として、嵯峨天皇の生前および崩御後も大きな影響力を発揮しまし。

 政治的には、伊予親王事件や平城太上天皇・薬子の変などの政変を、嵯峨天皇の配偶者の立場から経験しました。

 嵯峨太上天皇崩御直後の842年に起きた承和の変においては、太皇太后として自ら重要な鍵を握る役割を果たしました。

 県犬養橘三千代から始まり、その娘の光明皇后と牟漏女王によって祭り継がれていた酒解神などの諸神を、太后氏神として山城国の円提寺、さらに葛野郡に遷祭しで、梅宮社を創建しました。

 仏教への信仰が篤く、嵯峨野に日本最初の禅院檀林寺を創建しました。

 河内国の観心寺講堂の造立や如意輪観音菩薩像の造像、法華寺十一面観音菩薩像の造像などにも関与しました。

 また、橘氏の教育施設である学館院を創設しました。

 恵与を五豪山や神異僧への供物奉納のために独自に唐へ派遣しました。

 さらに、恵誓を介して禅僧義空を招聘し、自らも禅を学んだと伝えられています。

 嵯峨天皇譲位後は共に冷然院・嵯峨院に住みました。

 嵯峨上皇の崩後も太皇太后として朝廷で隠然たる勢力を有しました。

 850年3月に仏門に入り、同年5月に冷然院において享年65歳で崩御しました。

 参考となる主要史料は、正史の『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本紀略』『類聚国史』です。

 本書ではこれらの史料を基本に、その他関連する史料を加え、また先行研究を再検討しつつ、まず時系列に沿いながら嘉智子の実像をできる限り明らかにしたいといいます。

 そのうえで嘉智子没後に、嘉智子創建の檀林寺、梅宮社、学館院などがどのように変化していったのかを追ってみたいとのことです。

第1 家系と出生/第2 嵯峨後宮への道/第3 嘉智子の婚姻/第4 皇后嘉智子の誕生/第5 嘉智子期の皇后と皇后宮/第6 皇太后そして太皇太后へ/第7 太皇太后嘉智子の宗教活動/第8 承和の変と嘉智子/第9 晩年の嘉智子/第10 嘉智子の崩御とその後/第11 嘉智子像の変遷

 

 

 

 


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