http://news.ameba.jp/20160513-880
工藤幹夫さんは、私が小学生のころ所属していた「広面小学校野球スポーツ少年団」のコーチでした。
とにかく熱血漢。小学生相手にも真剣に向き合って下さる本当に熱い方。
工藤さんのノックを受けていて、速い打球を怖がると怒られて怒られて。
「ボールと俺どっちがこえ?」(こえ=怖い)秋田弁。
『・・・工藤さんです』
「じゃあ捕れ!!!」
このやり取りは、広面スポ少にいた人は一度は経験しているはずです。
いつもは怖い工藤さんだから、時々褒められると、それはもう嬉しくて。
一度、私も「バント」を褒められたことを、20年近く経った今も鮮明に覚えています。
プロ野球で最多勝に輝き、野球の頂点を極めた方。
スポ少の試合の後、対戦チームの選手にもアドバイスを送る姿も印象的でした。
スカイドームで行われた大会のこと。私たちが手も足も出ない程抑えられた剛球投手に、試合後歩み寄り、いつも以上に時間をかけて、身振り手振りのアドバイス。
その剛球投手は、佐藤剛士投手。後に甲子園でも活躍し、広島カープからドラフト1位で指名を受けるビッグプレイヤーとなりました。
秋田から離れても、野球好きの方と会話する時は、工藤さんの話を必ずさせて頂いていました。
工藤さんがいっぱい怒ってくれたから、誰に怒られても動じることはなくなりました。
工藤さんから、教えて頂いたことは私の一生の誇りです。
悲しくて悲しくて仕方ありません。もう一度、挨拶をしたかった。
私は、今スポ少の野球指導に係わっています。
工藤さんから教えてもらったことを多くの子供に伝えること、そして工藤さんが愛した野球をもっと多くの人から愛してもらうことが、恩返しなのだと思っています。
1980年以降、昨年までの35年の間。DH制のあるパリーグで20勝以上の勝ち星を挙げた投手は、わずか7名。
そのうち、勝ち数から負け数を引いた『貯金』が16を上回る投手は次の4選手だけ。
ニューヨークヤンキース田中将大
シアトルマリナーズ 岩隈久志
ソフトバンクホークス 斉藤和巳
日本ハムファイターズ 工藤幹夫
(1982年 20勝4敗 日本シリーズ1勝)
私たちの心はもちろん、プロ野球史に燦然と輝くヒーローです。
ご冥福を心よりお祈りいたします。