コドモの気持ち | 岸紅子オフィシャルブログ「Holistic Beauty」Powered by Ameba

岸紅子オフィシャルブログ「Holistic Beauty」Powered by Ameba

岸紅子オフィシャルブログ「Holistic Beauty」Powered by Ameba

最近、急に言葉が多くなってきた娘。


これまでは「ダッヅタ~」とか「あ~う~」のような

音を発することの方が多かったけれど、


今は「ママ、パパ、じいじ、ばあば、わんわん、かーかー」などなど

沢山意味のある単語を話すようになりました。


と同時に「おてて出して」と言えば手を出す

というように、ものには名前があるんだな、ってことを

なんとなく認識し始めたようです。



で、そうなると親も感動して

「しゃべったしゃべった」

「わかってるわかってる」と興奮しちゃいます。


で、ついつい

「パパはどこ?」

「これは何?」

「あれは何色?」

と質問ぜめに・・・


で、正解が出れば喜び

じいじにママと言えば「違うよ、じいじでしょ」などと

間違いを指摘する。


でも、はっと思ったのです。

これって言葉を話し始めたばかりの赤ちゃんにとって

あまり良いコミュニケーションじゃないよなって。


一通りしゃべれるようになってからなら

否定したり質問してテストしたり間違いを指摘するのは良いんでしょうけど。


いまは、しゃべるのが楽しくてしょうがない!

という前向きな気持ちで間違いを恐れずに

思う存分お話してほしい・・・


だから、私は彼女の話に耳を傾けたり

彼女が興味をもったものについて説明をしてあげたりする、

それだけに徹底してあげようと思いました。

そして、なるべく否定しないようにしたいと。


サルをワンワンといっても、違うよ、じゃなくて、

「そうか、4本足で歩いてもじゃもじゃだもんね。

でも、あれはお猿さんというのよ。お猿さんは

木に登ったり、上手にバナナを剥いたりできるのよ」


というように、彼女の世界を広げてあげるほうが

よほど建設的で気持ちが良いでしょう。


きっと、どんなに小さな子でも

「ちがうよ~」と大人に言わる気分って

決して喜ばしいものではない気がするんです。


おとなは軽口の気持ちでも、子供は世界が狭いから

大人の小さな言動がとても大きな影響になってしまうので

そこは軽んじてはいけない気がします。


どんなに小さくても未熟でも、ひとりの人間として

人格があり一生懸命に何かをしようとしているのだから

それを見守り応援してあげたいな、と。


それが育児書的に正しいか間違っているかはわからないケド

「これなに?」「なんて言うの?」とテストして

芸をさせようとするような場面になると

(かわいいからやりたくなっちゃうんだけど、ペットじゃないんだよね)

口数が少なくなったり

気まずそうな笑顔をしたりするのを見て

今、それをすべきじゃないと思ったんです。

せめて、身近な者だけは。


子供を卒業して時間がたち過ぎてしまい、

私たち大人は自分の理論や尺度でものを断じてしまいがちですが、


彼女を見ていると、何かにつけて

自分が忘れてしまった子供の時の気持ちを

思い出します。


それこそが、学ばされるありがたさなのかも知れません。