<「伊邪那岐と伊邪那美6」・・・島々の生成3 >
「古事記」の「島々の生成」を続けます・・・要約すると・・・
「二柱の神」は、「神作り」「国作り」に失敗したため、「天」の「天津神」にアドバイスを乞うため、「天」に戻ります。「天津神」は「卜い」をして、その原因は「女神」が先に「誉め言葉(求愛?)」を言ったからだとします。
「二柱の神」は再び「オノコロ島」に戻り、「天の御柱」を「伊邪那岐命」は左から周り、「伊邪那美命」は右から回って、鉢合わせ、今度は男神の「伊邪那岐命」が先に「誉め言葉(求愛?)」を言います。そして、結婚し、「淡道之穂之狭別島」が生まれます。 (「武田祐吉訳 古事記」より )
《「島々の形成」》
《「神社本庁」のパンフレットより 》
【 「季節の旅人」の“探検日誌” 】
「古事記」には「天津神」の「卜い」は「太卜」でおこなったと書いてあります。「太卜」は「鹿」の肩骨を焼いてヒピの入り具合によって占う方法だそうです。後に、「亀の甲」を焼く方法に変わるとか・・・「天津神」も自身で判断するのではなく、「占い」を用いるのですね。
生まれた子は、「淡道之穂之狭別島」です・・・いろいろな説がありますが・・・「淡道」は「阿波の国」へ行く道の意、「穂」は「稲穂」の意、「狭別」た「若い」の意・・・つまり、「阿波の国へ行く道にある「稲穂」の形をした若い島」ということになります・・・これが現在の「淡路島」であることになりますね・・・何故、「淡路島」が最初の「島」として作られたのでしょうか。いろいろな考察はありましたが、「私自身」納得がいくものがなかったので、記述をやめました。
( 注記 )
※「浅学」のため、「間違い」や、「ピント外れ」が多いかと思いますが、温かい目で、この「探検記」をお見守り下さい・・・「間違い」は都度修正していきますが、興味のある方は、自分で専門書物を調べて下さいね。[出典:「角川文庫 古事記」「武田祐吉訳 古事記」ウィキペディア、ニッポニカなど]
・・・次回は「伊邪那岐と伊邪那美7・・・島々の生成4」