<「伊邪那岐と伊邪那美5」・・・島々の生成2 >
「古事記」の「島々の生成」を続けます・・・要約すると・・・
《「伊邪那岐命」と「伊邪那美命」》
《「神社本庁」パンフレットより 》
「伊邪那美命」は自分の身体に足りない所があることを発見し、「伊邪那岐命」は余っている所があることを発見します。「伊邪那岐命」は「伊邪那美命」の足りない所に彼の余っているところを差し込んで「国産み」を行うことを提案し、「伊邪那美命」は承諾します。「天の御柱」を「伊邪那岐命」は左から周り、「伊邪那美命」は右から回って、鉢合わせ、お互いの魅力を褒め合いました。しかし、女神の「伊邪那美命」の方が先に褒め言葉を発したので、「伊邪那岐命」は「女性が先に言うのは良くない」といわれました。
しかし、そのまま結婚し、「伊邪那美命」は「子水蛭子」産みます。ただ、出来の悪かったので、「葦船」で流します。次に「淡島」を産みますが、これも子の数に入らないほど出来が悪かったとのことです。
(「武田祐吉訳 古事記」より )
【 「季節の旅人」の“探検日誌” 】
ここにおいて、「伊邪那岐命」も「伊邪那美命」も「人間」と同じような容姿をされていることが推測できます。そして、「性」描写もありますが、「古代の人々」はおおらかで、神聖なものととらえているため、いやらしさを感じさせないのがいいですね。
「天の御柱」を回って結婚するのは何か意味があるのだろうかと調べましたが、よくわかりませんでした・・・古代にしきたりがあったのだろうか。
でも、「女性」の方から「誉め言葉(求愛?)」を言ってはいけない」との思想は、「古代」のおおらかさと少しかけ離れているように思います・・・「古事記」が作られた「奈良時代」には入っていたと思われる「中国の儒教思想」が影響していることはないだろうか。
「二柱の神」により、先ず「水蛭子」が生まれます・・・流産ということだろうか、出来が良くありません・・・「葦船」で流します。しかし、後世、この「水蛭子」が流れ着いたという伝説が各地にあるとのこと。例えば、「摂津国」に流れ着き、「西宮大明神」となったとか、また、「恵比寿神」と同一視する説も室町時代におこったとか。
次の「淡島」に関しては、「古事記」には詳しく書かれていませんが、後世、色々な説がたてられています・・・例えば、「アワシマ」なので、「泡のような島」だったのではという説等・・・しかし、「島」と表記されているので、一応「島」の容態はあったのではとか・・・このため、「水蛭子」のように、流されなかったのではなどの説が出されていますね。
( 注記 )
※「浅学」のため、「間違い」や、「ピント外れ」が多いかと思いますが、温かい目で、この「探検記」をお見守り下さい・・・「間違い」は都度修正していきますが、興味のある方は、自分で専門書物を調べて下さいね。[出典:「角川文庫 古事記」「武田祐吉訳 古事記」ウィキペディア、ニッポニカなど]
・・・次回は「伊邪那岐と伊邪那美6・・・島々の生成3」