歴史の探検《 “古事記の世界”(24) 》・・・「古代エジプトの宇宙創生と宇宙観」・・・ | 季節の旅人のブログ

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<「古代エジプトの宇宙創生と宇宙観」 >

 

 「古代エジプトの創生神話」はいろいろあるらしいです。その中で「古代エジプトの宇宙創生前」でブログアップした「ヘンオポリス神話」により、「古代エジプト人」が「宇宙創生」をどう考えていたかを見てみます。

 

 「ヘリオポリス神話」は「ピラミッドの内部に刻まれたもの」や「死者の書」の中に記述されていたものによるようです・・・「原文」は分かりにくく、長いので要約して記述します・・・参考文献として・・・「マテマティカ」によります。

 宇宙の初め」は、「」で覆われていました。この「宇宙」を覆いつくす「」を「ヌン」といいます。「ヌン」はすべてを生み出す力の源で、「」ともされます。

 

 「ヌン」は長い間淀んでいましたが、その「ヌン」中から突如「創造神アトゥム」が自らの力で生まれます。これにより、有限の空間が生じ、時間が動き始めます。この混沌の「」の中で、「アトゥム」が唾を吐くと息子「シュウ」が生まれ、嘔吐すると娘「テフヌト」が生まれました。まだ、まわりの水は真っ暗闇で、生まれたばかりの子供はどこかに行ってしまいます。

 

 「アトゥム」は慌てふためき、自分の「」に探し出すように命令します。「アトゥム」の「」はまだ一つで、「」は自分自身の意思を持ち自由に動ける存在でした。やっとの思いで2人の子供を探し当て、「アトゥム」はわびて、戻ってきた「」を額につけました。すると、「ヌンの水」が引き空間が生じ、「アトゥム」は水面上に姿を現します。これを「原初の丘」といいます。「アトゥムの眼(太陽)」は全世界を照らして、「アトゥム」は世界を統治することになります・・・とのことです。

 

 

 では、「古代エジプト」の「宇宙観」はどんなものであったのでしょう・・・「古代の宇宙観」というサイトによると・・・

 古代エジプト人」は,「地球」は植物でおおわれて横たわる「女神ゲブ」の姿であると考えていた。そして,「天の神ヌト」は,体を折り曲げて「大気の神」に持ち上げられているものと考えられていた。

 「太陽の神ラー」と「月の神」は,それぞれ二つの舟に乗って,毎日,天のナイル川を横切って死の闇に消えていくものと考えていた。・・・とのことです。

     《「古代エジプトの宇宙観」》

                                             (「古代の宇宙観」のサイトより )

 

 

【 「季節の旅人」の“探検日誌” 】

 「宇宙」を覆いつくす「水(ヌン)」から、「創造神アトゥム」が現れて、有限の空間が生じ、時間が動き始めたと考えたようですね。でも、まだ、まわりは真っ暗闇だったようです。

 そこで、「アトゥムの目」が活躍します・・・行方不明になった「子供達」を探させると、戻って来た「」を「アトゥムの額」につけます。すると、「ヌンの水」が引き、「アトゥム」は姿を現し、「アトゥムの目」は「太陽」として全世界を照らします。さらに、「原始の丘」も現れ、これが「人間」の住む世界になったと考えられますね・・・このように「太陽」と「大地」が出現し、これから、いろいろなものが創造されることになります・・・この世の「超自然現象」をこのように説明していますね。

 

 「古代のエジプト」の「宇宙観」も「ナイル川」や「」から抜け出ていないようですね。この世は「女神達」により作られており、「太陽神ラー」「月の神」は「天のナイル川」を移動していると考えているようです・・・「」がありきの「古代エジプト」の「宇宙創生」は、「古代中国」や、「古代インド」などの「創造神」により、「」から「」が作り出される物語とすこし異なるようです。

 

 

( 注記 )

 ※「浅学」のため、「間違い」や、「ピント外れ」が多いかと思いますが、温かい目で、この「探検記」をお見守り下さい・・・「間違い」は都度修正していきますが、興味のある方は、自分で専門書物を調べて下さいね。[出典:「角川文庫 古事記」「武田祐吉訳 古事記」ウィキペディア、ニッポニカなど]

 

                                       ・・・次回は「古代ギリシャの宇宙創生と宇宙観」