歴史の探検《 “古事記の世界”(19) 》・・・「記紀の宇宙創生と宇宙観」・・・ | 季節の旅人のブログ

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短き秋でも楽しみつつ一歩一歩前へ

<「記紀の宇宙創生と宇宙観」 >

 

 さて、「宇宙創生前」の状態を書く文明はどう説明しているかを見てきました。では、次にその後の「宇宙創生」はどのようになされていたのかという点を、書く文明はどう考えていたかを調べてみます。

 

 先ずは、「日本」の「記紀の宇宙創生と宇宙観」から始めます・・・「宇宙のはじめ」は「まだ形も気もない状態だった」とされています・・・その後「記紀」では「天地」が創造される様子が記載されています・・・その様子は「古事記」より、「日本書紀」によく書いてあります。

<「日本書紀>

やがて、清明なるものは「」となり、重濁なものは「」となり、その後「」が「」と「」の間に生まれました。「天地」の開けた初めに、「国土」が浮かび漂ったのは、遊ぶ魚が水の上に浮いているようなものでした

とあります。

             《「宇宙創生」》

                                                                             《 神社庁パンフレットより 》

 

 これからすると、「記紀の宇宙創生」は自然に「」と「」に分かれて行ったと考えられますね。そして、「記紀の宇宙観」は「」と「」の二層構造であるように思います・・・ただ、後に出てくる「黄泉の国」が地下にありそうですが・・・。

 

 

【 「季節の旅人」の“探検日誌” 】

 「記紀」では「」と「」に分かれたことは書いてありますが、どのようにして分かれたかは書いてありません。

 「日本書紀」では「天と地の間に「神」が生まれた」とされますが、「古事記」では「天(高天原)」に「」が生まれたとしています。この違いは何だろう・・・いずれにせよ。「」が出現したことにより、この後、「多くの神々」「国土」が生まれ、「天地」が整っていくことになりますね。

 

 「天地創生」で出来た「」は「高天原」とされます。これは後に「天照大神」が統治するところであり、「天津神」が住んでいるところのようです。 でも、この時点では、「」の方はまだ水の上に漂っているようなものだったようです・・・いずれにしても「天地」の二層構造の生成ですね。

 

 

( 注記 )

 ※「浅学」のため、「間違い」や、「ピント外れ」が多いかと思いますが、温かい目で、
この「探検記」をお見守り下さい・・・「間違い」は都度修正していきますが、興味の
ある方は、自分で専門書物を調べて下さいね。[出典:「角川文庫 古事記」「武田祐吉訳
 古事記」
ウィキペディア、ニッポニカなど]

 

                          ・・・次回は「現在の宇宙創生と宇宙観」