<「記紀の宇宙創生と宇宙観」 >
さて、「宇宙創生前」の状態を書く文明はどう説明しているかを見てきました。では、次にその後の「宇宙創生」はどのようになされていたのかという点を、書く文明はどう考えていたかを調べてみます。
先ずは、「日本」の「記紀の宇宙創生と宇宙観」から始めます・・・「宇宙のはじめ」は「まだ形も気もない状態だった」とされています・・・その後「記紀」では「天地」が創造される様子が記載されています・・・その様子は「古事記」より、「日本書紀」によく書いてあります。
<「日本書紀>
「やがて、清明なるものは「天」となり、重濁なものは「地」となり、その後「神」が「天」と「地」の間に生まれました。「天地」の開けた初めに、「国土」が浮かび漂ったのは、遊ぶ魚が水の上に浮いているようなものでした」
とあります。
《「宇宙創生」》
《 神社庁パンフレットより 》
これからすると、「記紀の宇宙創生」は自然に「天」と「地」に分かれて行ったと考えられますね。そして、「記紀の宇宙観」は「天」と「地」の二層構造であるように思います・・・ただ、後に出てくる「黄泉の国」が地下にありそうですが・・・。
【 「季節の旅人」の“探検日誌” 】
「記紀」では「天」と「地」に分かれたことは書いてありますが、どのようにして分かれたかは書いてありません。
「日本書紀」では「天と地の間に「神」が生まれた」とされますが、「古事記」では「天(高天原)」に「神」が生まれたとしています。この違いは何だろう・・・いずれにせよ。「神」が出現したことにより、この後、「多くの神々」「国土」が生まれ、「天地」が整っていくことになりますね。
「天地創生」で出来た「天」は「高天原」とされます。これは後に「天照大神」が統治するところであり、「天津神」が住んでいるところのようです。 でも、この時点では、「地」の方はまだ水の上に漂っているようなものだったようです・・・いずれにしても「天地」の二層構造の生成ですね。
( 注記 )
※「浅学」のため、「間違い」や、「ピント外れ」が多いかと思いますが、温かい目で、
この「探検記」をお見守り下さい・・・「間違い」は都度修正していきますが、興味の
ある方は、自分で専門書物を調べて下さいね。[出典:「角川文庫 古事記」「武田祐吉訳
古事記」ウィキペディア、ニッポニカなど]
・・・次回は「現在の宇宙創生と宇宙観」