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自分の未来は自分で変えられる@花井まゆみ

東京・多摩にて訪問看護師として働いている私が、「心の世界とスピリチュアル」を学び、人生大きく変化しました。

スピ×セルフパートナーシップ論【男性性と女性性の理論】を使って現実を無理なく変えていきます。

龍とも仲良しなアイドルヲタク。

こちらのブログにお越しいただき
ありがとうございます。


わたしの人となりをお伝えします。


私は現在は訪問看護師として
仕事をしています。
まずは看護師になったきっかけを
お話ししますね。


高校2年の時に進路を決めました。
「看護師だったらちゃんと
食べていけるんだよ」
友人の一言で興味を持った私。
全く迷いがなく看護学校に進路を決め、幸いにも大学病院付属の看護学校に
進学が決まりました。


3年間の学生生活を終え、
国家試験に臨み、
無事看護師としての免許が
もらえました。


配属は循環器病棟。
とにかく、先輩が厳しかった。
優しい先輩もいましたが、
私にとって「キツイ」先輩のほうが
多かったと思います。


そのころから
「先輩に気に入られる後輩」
「気兼ねなく先輩と話せる後輩」
というものが気になるようになり、
どうやったら先輩たちと
仲良く話せるのだろう、
そんなことばかり
気にしていました。


キャリアを積むにつれ、
徐々に先輩との関係は
気にならなくなりました。
大学病院をやめたのは、
夜勤がきつくなってきたこと、
そのころから在宅看護に
興味があったため、
専門的に勉強しようと思ったからです。


訪問看護ステーションへの
就職が決まり、
いざ仕事を始めたわけですが、
ここでも上司の態度や行動に
一喜一憂してしまう自分がいました。
そのころは全く
気が付いていませんでしたが、
それが小さなころからの
考え方の癖、だったのです。


私は2人姉妹の長女です。
小さなころから母の顔色ばかり 
伺いながら過ごしていました。
もちろん、子供らしく
言いたいことを言ったり、
我が儘言ったりしたことも
あります。
でも、妹は自由に、嫌なことは嫌、
とはっきり言っても
何にも言われないのに私は違う。
母に言いたいことも
はっきりと言えませんでした。


母は私への干渉が強く、
とにかく口うるさい人でした。
母自身が病弱であり
子供と一緒に動き廻ることが
出来なかったため
ことあるごとに口を挟む。
一日中私の行動を監視、
干渉していました。


いわゆる「過干渉」というものです。
小さなころは母の言うとおりに
しないといけない、母に自分の意見を
言ってはいけない、と思っていました。
思春期になり、自我が強くなって
母の言うとおりに
行動しなくなってきたあたりから
抵抗が始まりました。
気がおかしくなりそうになり、
母に物を投げつけたこともあります。
手を挙げたこともあります。
大声で怒鳴りつけたり、
母の作った食事を全部ごみ箱に
捨てたこともあります。
とにかく、母から逃げたかった。
でも逃げなかったのは、
母に自分を認めてほしかったから、
甘えたかったからだと思います。


看護師の仕事は夜勤があり、
家族と生活リズムが
合わなくなってから、
さすがの母も少しずつ
干渉しなくなってきました。
わたしはそのころに
一人暮らしを始めました。


一人暮らしを始めてからは
とても自由でしたが、
同時に寂しさもありました。
結局私は、本当の自分の気持ちを
母にわかってほしかっただけ
だったのだ、と気づきました。
仕事の終わりに
直ぐに食べられるよう、
惣菜を持たせてくれたり、
仕事をちゃんと持っているのに
お金をくれようとしたり。
今考えれば、母のしてくれたことは、
愛情しかなかった。
それをちゃんと
受け取れていなかったのです。


そんな母でしたが、
やはり病気の進行は止められなかった。
2002年の12月に帰らぬ人になりました。その時に私を励ましてくれたのが
今の主人です。




主人とは趣味を通じて
知り合いましたが、
母が亡くなったことで、
急接近しました。
それからほどなくして
私達は結婚しました。
ただ、付き合っているころから、
説教の多い人だな、とは
思っていましたが・・。


食費を16,000円/月でおさめるように。
早く仕事を決めて収入を挙げるように。


私は前職の途中で怪我をしてしまい、
退職し、リハビリを毎日行っている
最中でした。
そのために、フルタイムでの仕事は
できませんでした。
また、慢性的に疲労があり、
一日を忙しく動くのが
とても苦手でした。
それでも独身のころは動けていましたが、家族ができ、娘が生まれると、
どうやって一日を動かしたらよいのか
分からなくなることも
しばしばありました。


そんな私を主人が
良く思うはずがありません。
だんだんと喧嘩が多くなりました。
『仕事をしなければ家にいる
意味がない、あなたは俺の半分も
稼いでいない。
だから、俺の言うことを聞くのが
当たり前だ。
娘に悪影響を及ぼすから
早く自分の身の振り方を
考えたほうがいい。』
等々、私を家から追い出そうとする
言動が多くなりました。
自分は手を出さず、私に決めさせて、
私が家を出ていくように仕向ける。
後から知った言葉ですが、
これがモラル・ハラスメント
だったのです。


娘がまだ小さいため、
もし別居や離婚の際には
私に親権があると思っていましたが、
夫は私が母親としてそぐわない、
子育てができない、家事もできない、
仕事もできない、人間としてクズ、
ということが主張の主旨でした。
それでも、何とか毎日を
私なりに頑張って来ました。
何度となく同じような喧嘩をして、
最後は徹底的に人間性を否定され、
眠れない日々を過ごす。
そんなことを何年も
繰り返してきましたが、
その私があるときこの、
UMIに出会ったのです。


同じような悩みをもった方が
夫への見方、考え方を180度変えて、
今は仲良し夫婦になっている。
その方のきっかけの言葉を読むと、
奇跡が起きたわけではなく、
ちゃんと根拠がある行動をしたことで
夫の反応が変化してきた。
信憑性が高く、
これは私もチャレンジしてみても
良いかもしれない。
そう思ったのです。



カウンセリングを受けることなく、
いきなり最初のコースを
申し込んでしまいましたが、
私にとってはとても新鮮で、
また深く自分と向き合うことと
なりました。


いままで感じたことの無い感情。
私は正しい。私は間違っていない。
悪いのは私を理解せず、虐げる夫だ。


そう、思ってきたのですから、
その考え方をひっくり返すのには
抵抗がありました。
でも、UMIカウンセリングで学んだことはとても現実的でした。
脳科学に基づき、根拠のある方法を
実践、検証、考察していく。
そしてまた実践していく。
自分の意識が現実を作っていく、という事が少しづつ分かってきました。
じっくりと心で感じるのは
とてもツラいことではありましたが、 
その必要性を理解すればするほど、
ひとつづつ生きづらさが和らいでいく。


そうしているうちに、夫の態度が
軟化していることに気が付きました。
今まで言わなかったようなこと、
始めて夫が
「やっぱり、あなたは俺のことを理解していない」といったこと。
その言葉を聞いた時、
やっぱり夫も理解してほしい!と
思っていたことが強く分かりました。
つまり、私が自分のことを
理解してほしい!と思っている、
ということは、夫もそう思っている、
ということが証明されたわけです。
喧嘩の時にたくさんの言葉をお互いが
浴びせるけど、
本当は、言いたいことはそこではなく、本当に伝えたいことはひとつであり、
それが伝わってないんだな、と
心底腑に落ちました。


いまでも喧嘩はしますが、
学んだことを思い出し、
自分は何を伝えたかったのか、
自分はどうしたかったのか、
自分はどう感じたのかというように、
自分の中を見つめるようにしています。
それによって自分の気持ちが整理され、本当に伝えたかったことが
分かってきます。
夫にその気持ちを伝えたところで、
分かってもらわなくてもそれは良く、
自分の怒りの下にある本当の思いに
気づけたこと、
さらにそれが言えたなら、
それこそが我慢しないで
自分の言いたいことを言うことになる。
それが分かったことで、今までの
「我慢ばかりしていた私」から
「伝えたいことを自由に伝えられる私」へと変わりました。
そして、UMIカウンセリングと
出会ったことで、
私は自分が「ダメな自分」から
「豊かで暖かな自分」へと
チェンジしているのを感じています。


だからこそ
今、生きづらさでいっぱいのあなたを
この私であればサポートできると
思うのです。
我慢ばかりの人生から、
笑顔いっぱいの人生へ。
この私のプロフィールが
そのきっかけとなることを願って。