写真で見る100年ちょい前の中国・四川で篤く信仰される牛神の像 | 如月隼人のブログ

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1917年
四川省・汶川県威州鎮
米国人シドニー・ギャンブル(1890-1968年)撮影

人類史を振り返れば、世界各地で牛に対する信仰が発生した。家畜化が比較的早く、農作で大きな力を発揮したからと考えられる。

中国も例外ではない。太古の時代に多くの農具や農業技術をもたらしたとされる神農氏(炎帝)には、頭部は牛で体は人だったとの言い伝えもある。

蜀(現、四川省)は中国の中でも「牛信仰」がとりわけ盛んな土地の一つだった。蜀は古い時代には、雪解け水が岷江に殺到することで、春先の洪水がほぼ常態化していた。戦国時代の秦の蜀郡郡守だった李氷が、洪水に悩む人々を救うために紀元前3世紀に洪水防止のための水利施設である都江堰の原型を建設したことで、四川の地は春先の洪水に見舞われることがなくなり、肥沃な農作の地になった。この李氷も、牛神とみなされるようになった。

牛神は牛王とも呼ばれた。四川では、農作業が一段落し旧暦の10月1日に牛王節(牛王祭りをする風習があった。牛王節が最も盛んだった清代の康熙帝7年(1668年)に成都近郊で牛痘が大流行すると、四川巡撫の張徳地が資金を提供し、成都市街地の繁華街だった東大街に牛王廟を建て、鋳鉄製の牛1頭を奉納した。牛王廟付近は牛王廟街と呼ばれるようになった。

20世紀初頭の混乱期に、鋳鉄製の牛は軍閥により持ち去られた。2000年以降の成都市旧市街の再開発で、牛王廟も撤去された。しかし成都市郊外の複数の場所で、牛王廟は再建された。
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ギャンブルはまだ10代だった1908年に両親と共に中国旅行をした
その後1917年から1932年にかけて
キリスト教団体の幹部として中国に3回行き
長期滞在をして中国社会や家庭を調査した