「新しい台湾」(4)1926年大阪毎日新聞掲載【新時代をにぎわす豊富な農産や果実】 | 如月隼人のブログ

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・本ページは大阪毎日新聞に大正15年(1926年)5月18日から5月28日にかけて連載された記事「新しい台湾」の連載第4回目を転載。

 

・採録にあたって表記は現行のものに改めた。多少の補足を入れた部分もある。漢数字は算用数字に変更。

 

・写真は日本統治時代の台湾におけるサトウキビの出荷作業。

 

 

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【新時代をにぎわす豊富な農産や果実】

 

新台湾は、いかに我らの生活をにぎわしているか。10年前には、バナナを食うことは、一般的に言えば、なお贅沢の部類に属していた。しかるに、今日、大都市においてはいかなる家庭でも、子どもの間食としてこれを用うるを怪しまない。それはそのはずである。大正3年(1914年)には、わずかに二千万余斤(※)の生産にすぎなかったものが、13年(1924年)には、2億9200万斤に達している。すなわち10年間に、14倍以上の増収である。

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※二千万余斤

1斤は0.6キログラム。したがって、「二千万余斤」は1万2000トン、「2億9200万斤」は「17万5200トン」

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古い台湾では、バナナの栽培は農芸化されていなかった。しかるに今日では、旅行者は汽車の窓から、幾町(※)となしに続くバナナの田んぼを見て、熱帯気分を味わうこととが出来る。

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※ 幾町

1町= 60間≒109m / 1間= 6尺≒1.8m / 1丈= 10尺≒3.03m / 1尺= 10寸≒30cm / 1里= 36町≒3.9km

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★★豊富なる果実★★

 

のみならず、1昨年(1924年)12月、台湾青果会社(※)が創設され、その肝いりで先月18日を期し、70万円の賠償金を仲買人に提供して、これを全廃し、直接生産者から、消費者へとの、最も新しい経済上の組織を実現するを得た。

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※ 台湾青果会社

台湾では、日本の植民地になる前からバナナが栽培されていたが、日本時代には台湾総督府が管理して、日本輸出向けの品種改良が行われた。日本におけるバナナ需要は急増し、1924年12月には、農商務省と台湾総督府および台湾の青果同業組合が協議して台湾青果株式会社が設立された。

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私は帰途、扶桑丸で同会社の重役・池田競君と同船したが、同氏の語るところでは、近い将来において1斤10銭で消費者に提供したいとのことだ。高雄と大連にはすでに直通航路が開かれ、さらに朝鮮をも連結せんとする計画もあれば、これが開始の暁には、台湾のバナナはますます、その販路を拡大するであろう。しこうして、今年の移出予想額は驚くなかれ1500万円とのことである。

 

果実として、バナナのほかに、かんきつ類があり、パイナップルあり、竜眼あり、パパイヤあり、スイカがある。これらはみな、内台航路の短縮とともに、ますます我らの食卓を賑わすに至るであろう。

 

★★蓬莱米と命名★★

 

領台当時、山岳わずかに205万石(※)に過ぎざりし米穀は、昨年(1925年)は実に646万石に達した。しこうして、その価額は1億5000万円になんなんとする。

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(※)1石=10斗=100升=約180リットル。米1石の重さは140~150kg。米1石を145kgとして計算すれば「205万石」は29万7000トン、「646万石」は93万7000トン。

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食糧米不足の声が、内地においてますます盛んになるにしたがい、台湾米の増殖は、ますます注目さるるところとなるは、もちろんである。すなわち、わが食糧問題解決のために、新台湾の地位はますます重きを加える。ことに、内地における端境期において、台湾米の移入を見るがゆえに、米価調整津城、極めて重要なる役目をつとめるのである。

 

近来台湾総督府は、深くここに鑑みるところあり、品種の改善に意を用い、内地米の植え付けを奨励した結果、13年度(1924年度)において31万余石を産したものが、14年度には、その産額100万石に飛躍した。品質は無論、在来種に比較して遥かに優良なるがゆえに、その価額も4割ないし5割高に取引されている。先月の中旬、内地の米穀商百数十名の出席を見て、台北に全国米穀を開き、この内地種を蓬莱米と命名するに至った。

 

★★甘藷も砂糖の敵★★

 

さて、これだけ有利な内地米の移殖を、何故に怠っていたかは、のこされた問題である。人はこれを、古い台湾の産業政策に膠着したからという。言いかえれば、砂糖中心主義の産業政策のために、台湾農民の利益を犠牲に供したとのことである。台湾人の中には、深くこれを憤っている者も多々ある。

 

彼らの言うところによれば、内地米の移殖は、米と甘蔗(サトウキビ)との値開きをますます拡大する結果、自然農民は甘蔗の耕作を嫌忌して、米に移るに至るであろう。これ製糖業者とっては最も恐るべきところであるゆえに、当局者は多数農民を犠牲に供するをあえてして、糖業者のために、内地種の移殖を妨げたのであると。

 

私は、決してこれを理由なしとしない。ただ米価の著しき高騰は最近7、8年このかたの事実であることを思えば、当局の怠慢は十分これを責むる理由ありとするも、彼らは果たして悪意から、これをなしたかどうかは、よほど慎重の態度を持って決すべき問題であると思う。

 

製糖業の脅威に、米のほかになお甘藷(サツマイモ)がある。その産額も年々著しく増加して、18億6000万~18億7000万斤を示している。しこうして、アルコールまたは焼酎の原料として、内地への移出額は年々増加している。年に4回の収穫があることを思えば、南部の糖業に対して、確かに一大強敵であると言わねばならぬ。

 

★★新台湾と砂糖★★

 

年約8億斤の生産額を有する砂糖は、台湾の我らの生活に与える大なるみつぎ物であることは言うまでもない。しこうして、これには内地からの投資が多いだけ、それだけ新台湾の問題となる機会が多い。これを詳論するには、この感想文は余りに一般的である。したがって、これは本社発行のエコノミスト誌において、詳論することとする。

 

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・筆者の松岡正男には、「赤裸々に視た琉球の現状」「南洋巡察復命書」、「植民新論」「北樺太:探検隊報告」(一部共著)などがある。