中尾亜由美です。


私の実家の母は、
熱が出ても、骨が折れても、
病院に連れて行ってくれなかった、
モンスターママだった。


私自身が色んなことを
理解できる年齢になり、
許せるようになったことで、


モンスターだけじゃなかったよね。
と、母の愛情を思い出すように
なりました。


こんな幸せそうなんだもの。
クリスマスの時ですね。
デコレーションケーキも母の手づくりだと思います。
2つもあるのは、母はイブがお誕生日。



母がモンスター化したのは、
勉強が絡みだしてからですね。



私は、母に口ごたえを
したことがありません。


言ったら、100倍返ってくるのを
わかってたから。
母のヒステリースイッチが入ると、
説教は2時間を越えるのです。


そして、洋裁の1mの竹サシを
持ってきて、ブタれます。
歴代の竹サシは、2本折れてました。
(奇しくも私が洋裁をするので、
竹サシを見る度に思い出します)


羽子板は、とてつもなく痛かったので、
私が隠してました。


そんな目に遇うなら、
そら反抗せずに黙ってるよね。


父が、固く閉じて開かない貝を指差して、
『亜由美だ』と言ったくらい。


そうなったのは、あなたの
お嫁さんのせいよと言いたかったくらい(笑)



あまりしゃべらない子と言うのは、
社会人になっても続きました。
人に対して、色んなことを諦めていましたから。



母の気持ちや環境は、
当時は、わからなかったけど、
きっと、日々のストレスがあったんだな。
と、今は理解できる。



実家のある住宅街は、父の勤めていた会社が
買い占めた土地で、社員に土地を販売
していたので、一軒家がひしめく
巨大な社宅が出来上がってました。


みーんな、同じ会社の家族。
係長、課長、部長、その奥さん。


そら、ややこしい!


子供会も活発で、
同級生がめちゃくちゃいました。


住宅内でのいじめや嫌がらせも
あったんですよね。


私も近所の子にいじめられました。
『亜由美ちゃんは入れてあげなーい』
と言う、典型的なやつから、
叩かれたりもありましたね。



母は、洋裁をしていたので、
私の服は、ほぼ手作り。



『亜由美ちゃんって、着せかえ人形ね』
と、嫌みを言われたことを話してましたね。


毎日、しんどかっただろうなぁと、
なんとなく予測できます。


それは、やっぱり私が
母親になったから、わかること。
子供絡みの人間関係は、
気を遣いますから。



母は、食にはこだわっていたのか、
レトルト食品は、ほぼ食べたことないです。


帰宅したら手作りのロールパンや、
ケーキがありました。


ケーキは、本格的に習っていたので、
プロ並みに美味しいです。
お菓子教室の先生が自宅に来てました。


その辺りでも、母の愛を感じるところ。



パンのコネは、怒ってるときにやると、
よく膨らむ!


とは言ってたなぁ…


身体に悪そうなパンが出来上がってるやん!



また、お弁当に関してですが、

わたしと弟は、給食を
経験したことがありません。


クジラの肉は、食べたことありません。
コッペパンって何?です。


お弁当も、毎日大変だっただろうけど、
母は、キャラ弁の本を買っていて、


『明日は何がいい?』
と、聞いてくれてました。


一番覚えてるのが、
パンダのキャラ弁


おにぎり2つだけのお弁当…
パンダの顔と胴体だけなん🐼


お腹すいたー!!


と思ったので、
記憶に残ったお弁当でした。


今思えば、私がいじめられていたことを
知っていて、キャラ弁で挽回して
くれていたのかもしれません。


お弁当が『かわいいー!』と、
言われるから。



ま、想像だけど。




母のお弁当で好きだったのは、
3色弁当とおいなりさん、
たくあんの細巻きでした。
キャラ弁の甲斐なし。

でも、お母さんありがとう手書き風ハート



弟が、反抗期だった頃は、
仮面ライダーやかわいい女の子の顔の
キャラ弁で、母は仕返ししてましたね。




今だから、わかることがたくさんあります。


今、親との関係に苦しんでいる人に、
許していこうなんて、言えません。


嫌なことばかりがよぎるなら、
まずはその感情に向き合い、
成仏させる。何年かかってもいい。


それが出来たら、その裏側も
見てみよう。


きっと、真意が見えてきます。



母に言いたいことが言えなかったので、
我が家では、子供がなんでも話せる
環境を作ることを自然にしてました。


なのでか、我が子は反抗期はなく
静かに大きくなったなぁ。
との印象(笑)


あんな親だったから。
と、親を憎むのは簡単。


そこをもう見ないことにして
閉じるより、学んだことはあるはずなん。


そこだけ取り出して、
あとの感情は手放せると、
楽になるんだよね。


1番は、親と話すことかな。


私は、母に体罰をされていたことを
嫌だったと伝えたし、もう手放せています。


あの時のことがなかったら、
なにも学ぶこともなく
子育てに迷っていたかもしれない。


そう思っています。


今は、毎日が楽しいよ♪



お父さんはもういないけど、
母を大事にしていこうと思います。



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