連載:パンデミックで変わる交通の常識5 リニアで都市間は一体化されるのか、その必要はあるのか? | 鉄道きさらんど

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いつも列車・バスなど公共交通の事ばっか考えてます。

元経産官僚・岸博幸が斬る――リニア反対は「私利私欲」、静岡県を貶める川勝知事の「醜悪パフォーマンス」 (4/4)https://www.itmedia.co.jp/business/spv/2004/10/news018_4.html


談合は関係なし! 神様が見たってリニアはいける

https://business.nikkei.com/atcl/report/16/081500232/081600006/?P=2

人口減少やIT化の時代にあってリニア新幹線の需要はあるのか?という意見に、リニア推進派は東海道新幹線の輸送能力が逼迫していること、対面での商談等の需要がなくならないこと等をあげていた。前のエントリーでは私はそれに対して、今回のパンデミックはそういうリニア推進論の前提は変わるだろうとしてきした。

それら以外にも推進論の理由として持ち出されたのは人口減少社会でも都市間の交流人口は増える可能性があり、新幹線よりも速いリニアは3大都市圏を一体の経済圏や生活圏にすることができるということ。しかし、パンデミックでこの前提も崩れたのではないか?

今までは新幹線の発達により都道府県の境界を意識せずに都道府県境を期にせずに広域移動をして経済活動や通学や観光が気軽に行われてきた。しかし、パンデミックが明らかにしたのは人は結局都道府県の境に縛られていること。今回の場合地元都道府県でコロナウイルスの感染者を増やさない事、他都道府県に移さないこと、他都道府県から持ち込ませないことを競いあい、住民に県境を越えての移動事態の自粛を呼びかけている。これは強制でないお願いという体でも、人に「行くな!来るな!」と行っているようなもの。今までは「ぜひいらっしゃい!行ってらっしゃい」だったのに梯子をはずされたような気分にさせられるだろう。この極端な自粛ムードもいずれは緩和されるにせよ、こういうプレッシャーをかけられた記憶は今の時代を生きる人には消えず、トラウマとして残る。その際、記憶がある人の多くがこれからの時代に県をまたいだ遠距離通勤通学を前提に生活設計をしたいだろうか?地元自治体から東京の学生からそこから帰省するなと言われるのを目の当たりにすれば、今でさえ若者は地元志向が強いというのに今後田舎から東京等に進学する人は減るのではないだろうか?そうなると県境をまたぎ新幹線通勤をする人も減る(遠距離通勤前提で職場や家を選ぶ人が減る)し、東京や名古屋へリニア通勤するなんて人はいないはず。前のエントリーで書いた通り出張はイベント参加需要も減り、東名阪を日常的に往来することは減るはず。リニアの駅ができる東名阪や中間駅エリアが一体化し、密接不可分にくっついて相互補完しあうという未来予想はおとぎ話になり、実際は都道府県の交流は途絶えないことは当然としてももっと都道府県内の独立性や自己完結性が増すのではないか?そうなると東海道新幹線の輸送需要は減り、収益も減る中でもリニアをあえて建設する意義がとわれることが必至になるのではないかと思うのだが。