瀬戸線は赤電全滅秒読みへ(3)ちょっと昔の写真から | 鉄道きさらんど

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部屋を整理していたら02年の夏に撮った瀬戸電の写真のデータが見つかった。これは尾張瀬戸駅の画像ということで間違いないだろう。(旧駅舎も撮影しておけば良かったか…。)奥から6000系、6750系、形式がよくわからないがバラスト用ホキ、そして後ろに見えるのは6600系だろうか?釣りかけ電車も工臨用機関車・貨車も瀬戸線から消えた今となっては当時としては何げない風景のひとこまなのに本当に貴重な一枚となっている。

旧世代の車両の機器をベースに新製した車体をのせて新車でござい、とやる発想はべつにどこの鉄道会社でも大なり小なりやっているが、名鉄の場合はそういう車両が多い。6750系にしたって旧世代のメカなのに本線のSR車と変わらない大きな全面窓、側窓と3ドアの通勤電車らしい車体を持っていて、走行音に違和感があっても近代的な電車と思う人ばかりではなかったのか。また、バラスト貨車の「感電注意」のステッカーはJR線などどこにもありふれた貨車に見えるがJR車によくある架線注意のステッカーとは違っていて趣味的な興味を惹くものだったと思う。

名鉄電車はこの時期から、それまでの丸っこい書体の方向幕の標記から、角ばった一般的なゴシック体の標記の幕へと取り換えが順次進められた。その大きな違いは種別が漢字一文字から二文字になり(たとえば「普」「急」「特」から「普通」「急行」「特急」に)、英語表記が下に併記されたことである。英語表記は万博開催・中部空港開港を睨んでの変更だろう。そしてそれより後には新岐阜・新名古屋・新一宮などの駅名が現在の駅名に改められた。名鉄もLED表示が増えた現在はこれさえも貴重な思い出になるのだろうか。


そして、瀬戸電以上に貴重な画像がこのJRバス瀬戸記念橋駅の画像だろう。この駅は今の草津温泉駅のようにマルス端末や出札所、待合室を持った本格的なバスの単独駅だったが、再開発で取り壊されのちにはJR東海バスの一般路線自体が消滅した。

しかし瀬戸記念橋付近には省営バス発祥地の記念碑が建ち、省営バス1号車は交通博物館・鉄道博物館を経てリニア・鉄道館に移り愛知県へ里帰りを果たした。鉄道省・国鉄・JRバスの一般路線バス路線は交通新聞社の時刻表に黒で表記されるから特別なイメージがあったのだが櫛の歯が抜けるようにみるみる減ってきた。「黒バス」と聞くと今やJRバスではなくて作者を脅迫した犯人が先日捕まったことで話題になったジャンプのマンガを連想する人が圧倒的多数だろうし(^^; とタイムリーな話題も織り交ぜたが、昔の雰囲気が残る瀬戸線も10年ちょっとで大きく様変わりし2000年代前半の話題も懐かしい過去になろうとしているのを実感する。