洸庭でのインスタレーションが終わり
本堂へ向かうことにしました
美しい庭を眺めながら奥へと歩いていくと
お昼にうどんを頂く五観堂。
ここから本堂へは石段の近道(健脚向)
とゆるやかな山道があると表示されているので
山道を行きます
山道といっても手入れされた美しい道です
途中に三軒、茶室があります
●秀路軒
天明の大火(1788年3月7日)で焼失した
表千家の残月亭、不審菴およびその路地を、
古図を基に中村昌生氏の設計により忠実に再現された茶席
こちらは季節によりお茶とお菓子を頂くことができます
こちらは季節によりお茶とお菓子を頂くことができます
●一来亭
千利休が晩年に京都の聚楽屋敷に建てたといわれる
一畳台目の茶室を、中村昌生氏の設計により
復元されたもの。
利休によって建てられた一畳台目の茶室は豊臣秀吉が嫌い、
二畳に改められたため、この当時の一畳半の茶室を
伝える直接的な資料は無いものの、後になって
千家三代宗旦の時に千家の地に造立した一畳半が、
利休の一畳半をかなり忠実に再現したものと推測される。
●玄庵(げんあん)
無明院内で唯一の数寄屋造りの建物で、
四畳半の小間と十畳半広間そして水屋からなる茶室
そしてロバの一休さんがいました
かわいい。人の気配がすると小屋から
出てきてくれますよ
実は禅とロバは切っても切れない関わりがあります。
臨済宗開祖の臨済禅師は臨終のとき弟子にむかって
「おまえのような瞎驢(カツロ)の代で我が正法はほろびる」
と言いました。
以来、臨済宗の継承者のことを瞎驢というようになりました。
瞎驢(カツロ)とは「目の開かない驢馬」という意味で罵りの語。
これは禅の師匠が未熟な弟子に対して吐く言葉で、
禅の祖師方はこのほかに「飯袋子(能無しの無駄飯食い)」や
「擔版漢(視野の狭い偏見持ち)」などの激しく厳しい言葉を用いつつ、
弟子たちを叱咤激励して、禅の正道へ導いたのです。
一休禅師はみずからを瞎驢庵と称しています
というわけで、神勝寺の一休ちゃんの
名前には禅宗の深い由来があるのです
神勝寺 一日禅体験レポート その④へつづく