思わず水に誘い込まれるような沢辺の花は意外と少ない。

川と言えば三途の川を挟んでこちらは此岸、あちらは彼岸。

川は事故が起こりやすい場所でもあるので

心霊スポットになりやすい。

余談だが、能楽堂の幕と舞台をつなぐ長い道を「橋掛り」といい、

幕の向こうはあちらの世界、舞台はこちらの世界、

橋掛りはその架け橋なのだといわれている。

 

ところで かきつばた は万葉集には垣津幡(旗)と表記されている。

 

 『万葉集』   より

墨吉之浅沢小野之垣津幡衣尓摺著将レ衣日不レ知毛巻七 吾耳哉 (一三六一)

住吉の浅沢小野のかきつはた衣に摺り付け着む日知らずも

如是恋為良武垣津旗丹頬合妹者如何将レ有巻十 (一九八六)

吾のみや、かく恋すらむ杜若(かきつはた)、丹(に)つらふ妹(いも)は、いかにかあるらむ

垣幡丹頬経君率尓思出乍嘆鶴鴨巻十一(二五二一)

かきつはた、丹つらふ君を、いささめに、思ひ出でつつ、嘆(なげ)きつるかも

 

とあり、いずれも恋しい人との物理的、心理的な隔たりを詠っている。

かきつばたの万葉仮名は「垣津幡」 「垣津旗」 「垣幡」であり、

いずれも「垣の布」の意味を持つ。

垣は隔てであり、 「隔てられた布のような花」という意味合いである。 

 

 『夫木和歌抄』にも、

杜若 咲きてや花のへだつらん とだえがくるるなごのつぎはし 

とあり、 「杜若」を「隔ての花」として詠んでいる。

 

また「東下り」をふまえた定家の歌には、 

せき地こえみやこゝひしきやつはしに いとゝへたつるかきつはた哉

とある。関所を越え、遥かな都が偲ばれる八橋。

その橋のたもとに垣をなして咲 くかきつばたの花は、

ますます都を隔てて恋しさを募らせる。

杜若は都とわが身を隔てる花として意識されていたことがわかる。

そういえば「杜若」に、こんな詞章があったではないか。

『在原の跡な隔てそ 杜若 沢辺の水の浅からず

契りし人も八橋の蜘蛛手に物ぞ思はるる』

そうか。かきつばたは二人を隔てるもの、という前提があったから

『隔てないで』と謡うのか。と、今初めて気づいて驚く。

 

今日ではかきつばたは、大概 杜若 と表記する。

これは実は当て字の間違い。

杜若は「とじゃく」と読み、正真正銘「やぶみょうが」という

ツユクサ科の植物の中国名だ。

濃い紫の実をつけ、傷の塗り薬に使われたらしい。

万葉集にはかきつばたで衣を染めた、とあるので

「書き付け花→かきつばた」語源説もある。

かきつばた衣に摺り付け大夫の着襲ひ猟する月は来にけり

紫色に染めることからどこかで取り違えが生じたのだろう。

しかし、初夏の緑を背景に、凛として立つ花の姿は

杜若という漢字に、とてもイメージが合っているのだから仕方がない。

 

もうひとつの燕子花という表記は言うまでもなく

かきつばたがつばめに似ているためだ。

同じ季節によく似た花と鳥が水辺で戯れる様は

とても絵になるので、和の意匠にも取り入れられている。

ツバメをキーワードとして、再びエジプト神話の世界に

戻ろうと思う。イシスはツバメに変身して、

夫を封じ込めた柱の周りを旋回した。

 

続く

 

 

補足