北宋時代、中秋節に皇帝たちが好んで食べていた“宮餅”。

この習慣が民間に徐々に伝わり、明代には一般的な習慣になっていった。

この頃手先の器用な職人が、「嫦娥奔月」という神話に基づいて、

芸術的な図案を月餅の上に描いたことも、

月餅が中秋節の必需食品として定着するきっかけとなった。

 

嫦娥奔月じょうがほんげつと楊貴妃

『淮南子』覧冥訓によれば、嫦娥(じょうが)はもとは仙女だったが

地上に下りた際に不死でなくなったため、

夫の后羿が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲み、

月(月宮殿)に逃げ蟾蜍(ヒキガエル)になったと伝えられる。

 

別の話では、后羿が離れ離れになった嫦娥をより近くで見るために

月に向かって供え物をしたのが月見の由来だとも伝えている。

道教では、嫦娥を月神とみなし、「太陰星君」さらに

「月宮黄華素曜元精聖後太陰元君」「月宮太陰皇君孝道明王」と呼び、

中秋節に祀っている。

「我もその上は、上界の諸仙たるが

往昔のちなみありて、仮に人界に生まれきて…」

これは能「楊貴妃」の一節。

死後仙界に戻った楊貴妃を、

道教の霊能者が玄宗皇帝の使者として

訪ね、形見の簪と約束のことばを賜って帰る。

どうやら嫦娥奔月は「楊貴妃」のエッセンスとなっているようだ。

 

楊貴妃と月餅

また月餅という名称の起源について、楊貴妃命名説がある。

ある年の中秋の夜、唐玄宗と楊貴妃が月を見上げながら

胡餅(こぺい・月餅の旧名)を食べている時、

玄宗が、「“胡餅”という名は、耳障りだ~」と、、、

その時、月に見とれていた楊貴妃が、なんのためらいもなく

「では月餅がよろしいわ」と言ったという。

 

楊貴妃のセンスのよさが感じられる伝承だ。

さぞかし美味しく、身体によいものの詰まった

月餅を食べていたことだろう。

 

ちなみに月餅の餡には蓮の実餡というのもある。

餡の中にアヒルの卵の塩ゆで(塩卵)の

卵黄を、月に見立てて入れるのも一般的だそうだ。

↑近年人気の、ハムとアヒル卵黄入り餡の月餅

 

月餅の美しさに惹かれて調べたら、

意外にも楊貴妃の伝承にゆきついた。

さすが、楊貴妃。である。

 

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