元々書いてなくて

読むこともほぼしてなかったけど、

ハイセンスなアイコンと名称が変えられて以来、全く見なくなった某SNS(^^;

 

…とは違ってよく開くのがインスタ。

私には風景写真に駄文を添えた表現の場、知人との交流の場でもありますが


偶然流れてきたThreadsで、気になって話を追っている漫画があります。

 


毎日少しずつ進む話が

佳境を迎えつつあります


独身50代ティラノさんが、入院した時にお世話になった星野さん(旦那さんと死別)と、偶然 婚活アプリを経て初めて会った時…

 

最初から、そして続きもぜひ読んでくださいね^ ^

 

 

この日の投稿を読んで

昔味わった、複雑な思いが蘇りました。


 

 

 

私が小4の秋に、父が亡くなった。

その少しあと

さほど親しくないクラスメイトが

なぜか唐突に私に「プレゼント」をくれた。

いわゆるファンシーグッズのペンケース

 

あの時のザワザワ感は今も思い出せる。

 

 

 

「なんで?」とたずねると

「だってお父さん亡くなって、可哀想やから」

 

 

思い起こすと自分にムカムカしてくるのだけど──

それを突っぱねるほど当時は気が強くなかった。

 

 

母には、クラスの子がくれたと伝えた。

もちろん私の「なんで?」の後の、彼女の台詞は呑み込んで。

 

 

 

 

時は流れ

 

私は、とある「士」業の事務所に就職。

そこは比較的大手の事務所で

当時、秘書は私を含め20人近くいた。

私は、事務所のボスである先生の、2人目の秘書として社会人生活をスタートした。

 

仕事にもかなり慣れてきた頃

家庭の事情で定時退社しなければならないベテラン秘書さんが、私をスカウトに来た(^^;

 

その数ヶ月後

毎日のように「午前様」になる先輩秘書の片腕になるべく、異動。

私も終電後に先生から貰ったタクシーチケットで帰宅する生活に。

 

体はとてもキツかったし

3人目の先生はものすごく感情が激しかったので

怒鳴られないか常にピリピリし、白髪がでたりしたけど、

「テキが声を荒げるのを封じるが如く、

求められてるものを察知し 先に差し出す」

…己が反射神経を鍛えるゲーム、と設定して仕事をしていた。

元々の仕事が好きだったのと、先輩秘書がとても穏やかで良い人だったことに支えられて。

 

 

 

 

そんなある春の日

突然、別の先生に就くようにボスに言われた。

その年の新人秘書が、

自分が配属された先生を

「生理的に無理」と言って泣いたから。

(彼女は縁故採用だったのでボスとしては

涙の訴えを見過ごせなかった模様)

 

私は、その先生のことはへっちゃらだったし

接吻しなければヘビースモーカーなんてどうってことないので(笑)

 

あの子、先生のどこが嫌だったんだろな?

と思うほど

私は気持ちよく、先生の二の腕として業務をこなしていた。

 

 

 

 

だけど、

3年目にして、担当が4人替わった私のことを

先輩のひとりがこう言った。

 

 

「◯◯(私の旧姓)さん、かわいそう〜。

たらい回しにされて…」

 

 

私は、

その言葉に頭をぶちのめされて、クラクラした。

 

 

 

 

私は、直属の先輩に恵まれていたし

入所以来ずっと、事務局長が私を鍛えながら "可愛がって" くれてるのを感じていた。

めちゃくちゃな職場だったけどツッコミどころ満載な面白さに溢れ

仕事はハードだったけどやりがいがあり、毎日充実感の中にいた。

何より、自分のことを

「どんな上司にもうまく適応できる能力があって私、すごい!」

と思っていた。だから、

 

え、私、可哀想って見られてるん…?

 

足元の床が抜けて落ちていくようで

吐き気がした。

まだ若かったからね…

 

 

 

 

私が言われた「可哀想」という言葉は

どこか憐れみを持って上から目線で見られている、そんな気がして

そして「たらい回し」という言葉に

使えない奴、とか

私の代わりは幾らでもいる…と突きつけられた気がした。

 

当時の悲しみと落胆は

今思い出すと、焼けるような怒りが湧く。

 

同時に、あの時の自分を改めて誇りに思う。

 

 

 

ものごとの

事実はひとつ

解釈は無限


捉え方によってどんな色にも見える

泣き喚くのも

怒り狂うのも

涼しい顔で受け流すのも

笑いに変えるのも全て自分、

自分が作った世界。

自分の住む世界の空気は自分で作っている

 

だから

事実は事実

解釈は「エゴ」として

切り離して考えたい。

この考え方を手に入れてから私は、

悲しみに対して、心が泡立つことがかなり減った。

 

 

小4の時の級友Mは

ことばをうまく操れなかっただけかもしれない。

本当にただ純粋に、

さほど親しくないけどお父さんを亡くした子を

元気づけようと思ったのかもしれない。

 

…だけど、

 

それでも

プレゼントというのは、何か違う気がして。

ごめんなMちゃん。

あのペンケース、使えんかった。

そして「心」を学んだ今の私でも、使う気になれへんねん。

 

 

 

そして

人に寄り添うことの難しさを思う。

 

 

私も

あなたは1人じゃないよ と 黙って

そっとそばで歩いていたかっただけなのに

誰かを傷つけてしまったことが

あったのではなかろうか

 


「思い込みで私のことを見ている」

「どこか上から目線」、だと

何かが噛み合わず 黙ってしまった人よ

 

私は想像力を働かせて接していた

自分が、必要以上に踏み込まれたくないタイプだから

差し出がましいことは言わなかった

それでも

私の未熟さ故に 癪に触ることがあったのか


でも誓って言う

こんな体験をしてきた私だから

「妙な同情」なんか決して、してない

 

これだけは知っていてほしい

いつか伝わるといいなと願う

 

 

それが叶った時 私は

ふるさとのあの町の、9歳の同級生と

休憩室で私を昼食のネタにした先輩秘書を

赦せるのかな