前回の投稿に書いた、サンベエのこと。

(注・ちょい重めです。「じゃ、やーんぴ☆」と思った方はここで閉じてください)

 

 

 

今日たまたまThreadsで、

子どもを大人しくさせられないなら店に来るな、という内容のスレッドを目にして、

 

ひどく気持ちが落ち込んだ。

 

 

私の、ひとつ前の投稿の一文を思い出したから。

(サンベエが2歳児保育の親子でランチ会の時に、うろうろして店側から注意を受けた)

この投稿の中では、全てを詳細に書いてはいない。

 

 

10年前。

12組の親子が、お店の貸し切りの部屋で食事をとっていた。

貸し切りだったので、子どもたちは部屋の中で自由に、

それこそ床に座ったり歌ったり走り回ったりして過ごしていた。

 

他の子たちは、「ともだち」と「あそんで」いたのだ。

 

 

でも、当時のサンベエはそれができなかった。

特定の友達とあそんだり、一緒に過ごしたり・・・に、関心がないようだった。

 

そのランチ会の場でも、サンベエは私のそばにいた。

みんなの所であそんだら?と言っても、首を横に振った。

 

 

どんどん盛り上がる、ほかのメンバー。

 

 

母親同士も、貸し切りの部屋という安心感から、こどもそっちのけでおしゃべりに興じていた。

 

わたしは、

 

 

入っていけなかった。

遠慮でも、

恥ずかしさでもない。

 

 

「脱走癖」のあるサンベエから目が離せなかった。

 

ある程度おなかが満たされたら、「ともだちに関心のない子ども」は、退屈になる。

私の手持ちの普段の「防御策」──塗り絵や折り紙など──で持ちこたえる時間はあっという間に、終了。

 

 

サンベエは貸し切りの部屋を出て、廊下へ。

 

 

そのお店は、いくつもの個室が集まった形態だった。

お店のドアを開ければテーブルと椅子が幾つも並んでいて・・・というコーナーもあったけれど

そこも、予約なしの人たちが利用できる、扉と壁で区切られたひと部屋になっていた。

 

(わたしは、詳しくないので なんというのか言い表せないけど)

外から入店すると、フロントがあって、予約客は各部屋に案内される。

食事をしているほかのお客様の前を通ることは、ない。

 

 

だから、

部屋を出て、廊下や階段で少しサンベエの気晴らしができるかと、私も部屋を出てみたのだ。

 

声を出したり、走ったりはしなかった。

私も1メートルほどしか離れていなかった。

何十分もうろうろしたわけでもない。

 

それでも

トイレに行く以外の目的で、客が廊下や階段で過ごすことは

お店としては「迷惑行為」だった。

 

 

私は、注意を受けることになる。

 

 

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なぜ

10年前の私は、あの場にいたのだろう。

 

 

 

どうして皆より先に帰るという選択をしなかったのだろう。

 

 


羽をもがれた日常。


私はその数年前に自損事故を起こしたことで

もともと嫌がっていた母の言いつけを守り、車の運転をやめていた。

その日もお店には、メンバーのひとりの車に乗せてもらって行ったのだ。

どこに行くにも車移動が当たり前の地域。確かその店も、最寄り駅まで3kmほど離れていたはず。

 

 

(幼稚園の「親子遠足」も「(園から30kmほど離れた)鈴鹿サーキットに現地集合・解散」だった)

 


 

 

母親というのは、子どもと接する時間が長い分

我が子と社会

我が子とよその子

いやというほど目にし、考えさせられる。

その上、うちはどの子のことも

医師の無神経なひとことで、鎌で切り付けられたような痛手を負うことがあった。

 

サンベエが外で押し黙ることも、

場面緘黙症なのかな?それとも?・・・と口にして

気にしすぎ!と一蹴した夫、初めて聞く症名に笑った母。

 

よりそってほしかったんだ、わたし。

もっと、自分で自分に寄り添えばよかったね。

 

 

 

 

 

私は、他のママさん達より、年齢は上だったけど

浮いていたとか、居心地が悪かったとは感じてなくて

私が昔から集団の中でそうしてきたように「程よく、そつなく合わせ」られていた。

居ることは苦痛ではなかったけど

本来、群れるのは嫌いで、単独行動なんてへっちゃらなわたしなのに

 

サンベエが楽しめないこともわかっていたのに

 

どうしてランチ会に行ったんだろう。

45歳の私よ。

 

 

 

私に向けられたものではないのに、

時空を超えたThreadsの投稿で、なんでこんなに胸をえぐられるかな・・・

 

 

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子育てがいちばん大変な時は

たいてい、配偶者も仕事の責任が増している時期で

 

私も夫が、部下30人の長に異動となったときに

「俺を当てにすんなよな」と言われた。

 

 

・・・「当て」?

 

イチコが幼いころ熱を出した時など

大丈夫,私ひとりで病院連れていけるよと言っても

自ら有休とってくれてたのは感謝してるけど、

 

なんかまるで私が今まで、顎で夫を動かしてたような言われ方やん・・・

と、その時の私は感じた。

今も夫のその時の突き放すような口調、表情、

サ――ッと冷たくなった私の心を鮮明に覚えている。

 

 

わたしは、

 

がんばっていることを、みとめてほしかったんだろうな。

 

 

いつもおつかれさま、

ありがとう、って

わたしが伝えてるように

名前を呼んで、

わたしに言ってほしかったんだろうな。

 

 

いちばん輝いているはずの

幼児のいる、若い時に

もっともっと、自分で自分を認めてあげたらよかった。

 

 

 

だから

 

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私の人生で

今この瞬間がいちばん若いから

これからは

 

自分に正直に生きる。

 

 

かたまった こころを

すこしずつ ほぐして

 

のどに 手をあてがって

あたためて

 

 

ことばを、きもちを、おくりだす。