私は

母の母、おばあちゃんが大好きだった。

 

「祖父母」は私の生まれた時にはもう、

母の母ひとりだけだった。

私と69歳違い。

19世紀最後の年の生まれ。

 

 

私の父も母も、華奢な体つきだったから

私の体格は

瀬戸内の漁師の娘として生まれ育ち、

山や海で鍛え がっしりした

この祖母の隔世遺伝だと、父は言っていた。

 

祖母宅のお風呂は狭く

腰が曲がり足が少し不自由な祖母には入り辛かったので

週に2日、老人センターの大浴場に、

そして後の日はうちにお風呂に入りにきていた。

 

乳癌になるまでは、湯船に入ると

たっぷりした乳房がぷかぷかしてた。

私も浴室に入り その おちちを眺め

たまに触って「こら」と言われながら、

学校のことなど話していた。

 

今、私は時々

オトナの家族との関係がちょいとしんどくて

へこたれそうになるけれど、

そんな時、おばあちゃんを思い出す。

 

働き者で

いつもにこにこして

通りすがりの若者には別嬪さんと言われ

近所の人に慕われ

でも息子(伯父)には怖いと恐れられ(笑)

お茶目で食いしん坊で、たっぷりしてて

 

いつも私の名前を呼んで語りかけてくれて

すまんなあ、とか

ありがとなあ、とか

勉強ばかりさせられて可哀想になあ、と言いながら

氷砂糖を口に押し込んでくれたり。

 

 

 

 

そんな祖母を思いながら最近、心掛けていること。

 

「ありがとうございました」と声に温度を載せて 言いながら

バスを降りる時 運転士さんに

お店のレジで 店員さんに

にっこりと目尻を下げ口角を上げて 目を合わせる。

 

街角の空気を、ほんの少し緩ませよう。

そんな「ひとりキャンペーン」をしていたら、

 

 

春が来ました。

 

 

新入学のニイスケとサンベエを

桜をバックに記念写真を撮ってから1年。

 

 

入試も、合格以後も、入学式前も後も

私は、母と色々あったけれど

そんなことには構わず

無事こどもらはすくすくと我が道を行き…

ありがたいことだ。

そして私も、胸の痛みを庇わなくても、歩けている。

ありがたいなあ。

 

 

にっこりを、自分から生み出して

ハプニングがあったら「おちついて。」と呟き、

気がかりがあっても、望みを見つめる。

 

自分の心の水面を凪にする。

 

 

 

お母ちゃんは、

寄せる大波には慌てず騒がず、平常心で。

関わりすぎない。

子どもを信じる。

そして、子どもが笑ってる時は、一緒になって思いっきり笑う。

 

こどもなんて、中学生ともなると

悩みを言ってくることなど男の子は特に、ないけれど

ボヤキはキャッチする。ただただ聴く。

 

それだけで大抵のことはうまくいくような

そんな気がする、お母ちゃん24.5周年・子の学校と関わって18年。

 

 

ああ、

イチコの20歳の記念写真、撮れてない…

ニイスケにバイトばかりさせている…

そんなポンコツな自分に時々しょぼんとなるけれど

ここまでよく、がんばりました。

詰る外野の声に耳を塞ぐよりも、

褒めてくれる人を待つよりも、自分で自分をごきげんにしよう。

 

 

おばあちゃん、こんな私に なんて言ってくれるかな。

優しい笑顔を思い出して、

おばあちゃんに近付いていきたいな。