下宿生の子どもが難病になった──そんな母親の気持ちと気付きを綴ります。
…必要な誰かの、心に届きますように。
今日は娘とは直接の関係のない、対人関係で自分のしんどかったことの振り返りです。
愚痴みたいなもの読みたくない…と思った方は、ここでスルーしてくださいね
友達少ないから結構こたえてまして(^^;;)ゞ
金沢へ向かう時、家からイチコの好物をキャリーバッグに入れて運んだ
検査の夜と翌日、現地スーパーで重い根菜やリンゴをはじめ、食糧を色々買い込んだ
娘が買い物に出られないほど体が辛い時、最低限の、腸に優しい食糧の素が下宿にあるように
ルーを入れたらシチューになるもの、豚汁
ほうれん草のお浸し、鶏胸肉の茹でたもの など調理し、
里芋や、すりおろした長芋、残りご飯を1食分ずつ包んだり
卵ひとパック分を味卵にしたり
買ってきた焼き魚をひと切れずつラップに包んだり
イチコが眠っている間に小分けして冷凍/冷蔵
そして忘れずに
先日捨てて帰った、血のついたトイレスリッパの
代わりのものを買ってきて置く
気持ちが晴れるよう、可愛いピンク色で、すぐに拭き取れる素材のものを選んで
ゴミ出しできずに部屋にたまると気が滅入るから
外に常設回収ボックスがあるものはシェアサイクルで運び出した
金沢は天気が不順
滞在中こまめに洗濯、大物はコインランドリーに運び、小銭と引き換えにフワッフワに乾かした
文字にすると長いけど、大したことはしていない
不器用だし、使い慣れず狭いキッチンスペースで、内容の割に調理の時間はかかったな
検査翌日 爽やかな秋晴れ
2人で神社に出かけ、「御祈祷」していただき
お昼は外食
レストランフロアで各店を物色
石焼ビビンバだ!と目を輝かせるイチコの横で、キムチは腸によくはないよな…とモヤモヤし
まだこっちの方が刺激ないけど…なま物はええんやろか?と私ひとり戸惑いながら、イチコが釘付けになった海鮮丼のお店へ
満面の笑みでカニ味噌丼を食すイチコ。
「カニ、美味しい〜!!!
このくらい(と1mくらい手を上下に広げ)お椀深かったらいいのに!」
食欲あるのが救いだ
カニ…。いつか、と思いながら
家族5人一緒に暮らしてる間に食べさせられなかったなあ。
…こんな、私が「無理なく」「気負いなく」
(色々押して睡眠時間はキツイけど、走ってたら感じない)
やってることは別に他人様にドヤ顔で してるわけでもない、
歯磨きと同様と言うには無理があるが、エアコンのフィルター掃除程度に造作ないことなんだけど
見る人が見たらある意味引っかかる、批判の対象にもなるようで
先日、諍いのあった友が、私の非礼の指摘と共に投げてきた言葉
「(私の話すことが)子どもへの気持ちが強すぎて『引く』。特に娘さんに対して。」
… … … 。
え…???
私はそんなベッタベタに子どもを構う母ちゃんではない。
例えば私は子どもに
「この気温にその服装はどうか、考えて体験して明日に活かせ」という姿勢。
ひとこと挟むときはあるが、喧しく "アドバイス"はしない。
子が小学生になってからは、旅行の荷造りは一切手出し口出ししていない。
私は、ボーイスカウト活動の保護者リーダーの端くれをしていたことがある。
「要らん!」と嫌がり逃げる小学校高学年の子に「風邪ひくから!」と皆の前で強引に上着を着せたり
現地で「こんな古くて隙間風の入る宿舎に泊まるなんて。うちの子、喘息ですから」
と即座に連れ帰ろうとするママ達や
キャンプ場の夜「お母さんが荷造りしたから、リュックのどこに何が入ってるかわからない」スカウトと接して、
内心 " おかあさん… 放っといたりぃや " と思っていた。
だから、娘の病気のタイミングで言われた友の言葉は、
ひとから見たら私もそうなのか…という衝撃。
私が「親友」と表現していたその人は
知るほどに、シンクロと言えるほどの幾つもの共通点で意気投合して親しくなった。
年上で、生き方や仕事への思いをすごく尊敬していた。
だからこそ、突然投げられた言葉は鋭く
私の未熟さに、日本刀でズブリと刺さっている。
半月以上前で、日常は忙しないから忘れているが
我が子に何かをする度、何度もリフレインして胸をえぐる。
もがくほど深く刺さっていく釣り針のように。
友にも、うちより年上の男女のお子さんがいるから、私のドタバタ話を共感してもらえる…と無意識で思っていたのは確かだけど。
「引く」って…。
自分のことは自分でわからない…ってことかもしれないな
ただ、ひとつ言えるのは、もし
誰かが「引く」ほど私の、娘への気持ちが強いとしたら
それは私が7年前、家族の調和よりも、故郷に残したひとり親を選んだから。
夫には結婚話が出た最初に、別居Uターンする可能性を話した。
それでも構わない、と承諾は得ていたけど
3人目が産まれて夫と より深まった溝を埋められないまま私は、揃って新入学を迎える息子2人を連れて故郷へ。
高校をあと1年残していた娘は、夫に " 任せた "…
捉えようによっては、別の動詞があてがわれるであろう、この事実への負い目から。
無論、娘をほったらかしではなく
夫が毎月数日必ず担う 宿直勤務のたびに私が三重の家へ泊まりに行き、乗り切ってきたが
やはり娘にも夫にも負担をかけたことは間違いない。
…友から先に悩みを打ち明けられたこともあり、
互いに腹を割って親や家族の話はしていたけれど
もし、老親を選ぶような思考回路に至った私の生い立ち自体に「引く」と言われるのなら、もうどうしようもないわね…。
これまでにも、ほとほとそんな自分が嫌になってたよ。
それでも、大好きだった 年配の父の、ひとりっ子として生まれた自分の宿命として受け入れてきた。
だから
20年近く、ひとり親を残して他県で家庭を持っていたこと
「『母の望む娘』像」の生き方をしてないこと
子連れの生活を回すためとはいえ、母が嫌がる、車の運転などの行為をしてきたこと
ここ1,2年、過去に諦めた夢を取り戻す行動に出ていたこと
どんどん自分にワガママになってきたこと
……
娘の病気は、私が自分勝手に生きてきたせいか、などとも思った。
私がそれをふと口にした相手…レイキの師匠は
「誰のせい、なんてことは ないよ。」と強くキッパリと嗜めてくださった。
釣り針は刺さったまま体に取り込まれていくのか
私が自ら、肉を割いて引き抜くのか
わからないけど、
私はグジグジ悩むのは嫌いだ。
多分、そのうち私は
歯を食いしばって力任せに釣り針引っこ抜いて
自ら傷口に岩塩塗りこみながら
イテテテテ
山の向こうに見つけた次の鉱山に向かってツルハシ担いで走っていくに違いない。
うん、多分そうだ。私はきっと大丈夫。
若い頃と違って
釣り針を、目に見えないところに葬らなくてもへっちゃらなくらい私は強くなってる。ただ、
私がにこにこと投げたメッセージでウンザリさせたのか…という悔いと、喧嘩別れが切ない。
相手が誰であれ
そのやりとりが、最後になるかもしれないのに。
下校したら父が亡くなっていた、9歳の秋。
朝のことは覚えてない。──
どうして私は前夜、調子が悪くなった父の隣の部屋で大声で泣いたりしたんだろう。
相手が誰であれ
なんで私、いつだって怒れないんだろな。
なんで怒る前に かなしくなるんだろな。
…よし、吐き出したから、前に踏み出すぞ。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
* * *
大阪から運んだイチコの好物は、
頂き物の柿を8個、そして
「ジーマーミとうふ」の名で販売されている、沖縄のピーナッツ豆腐。
これは数年前の夏に
体調を崩し食欲がなくなった母に買って渡したら
「やっと美味しいものを口にした。これなら食べられる」と喜ばれた。
そして帰省のたび、イチコも大喜びして食べる。
日持ちするから6個買って持ってった。
(柿8個と豆腐6個+保冷剤、は重かった(^^;)
ぷるぷるの食感、消化も良く栄養もある、
絶品タレとの絡みで食べるたび「美味しい」を連発。
食欲のない人に、よい食べ物だと感じます。
なかなか売っている店がないのが辛い!(^_^)