私は子ども(や、親や、誰それ)のこと
何もわかってなかった、
と
落ち込むことがある。
でもね
自分のことさえ謎要素がモリモリなのに
自分と違うヒトのことなんて、わかるわけなかろ?
…と気付いたら
なーんにも落ち込むことはない。
おめー(→私)、思い上がってんじゃねーよ!
と笑い飛ばそう。
だから
私が人に(親に、とか)「期待外れ」と言われても
それで落ち込む必要もないわけだ。
そう、
私は、この冬
母に責め立てられ続けていた。
昨年度、2人の息子ズが大学・中学
それぞれに入試があったわけだけど
男の孫が法・経・商学部に進み、
士業の資格を取ることを切望した母
母は母なりの、苦労の経験からの願いなのだが
(私は推薦で上がれる女子大に行かず
自分のしたい学問にも目を瞑り
浪人して、そちらの学部を選んだけど、
どんなに頑張っても資格試験の勉強に挫折してしまった)
ニイスケは中学時から、美大に進むことを望み、それを貫いた
その進路
それを許したこと、で私は
母に激しく責められた
サンベエも部活で特技を発揮したく、中学選びをした
通学時間が結構かかるのだが、
もっとうちに近い学校には、サンベエの満足のいく
活動実績の出ているところがなかった
1校あるにはあったが、ヘンサチという奴が合わなかった(^^;
受験校を決めた際に母に伝えると、難色を示した
「そんな遠いところ。塾に通えないやないの」
「部活なんか、いい加減にやめさせなさいよ。
それでプロになるわけじゃないのだから」
1月中旬、第1志望校に合格したことを言うと、
私がアドバイスを聞かなかったことを詰られた。
おめでとうとは、一度も言わなかった。
私も弱っちいから
そんな母にあからさまに歯向かうことができず
母は母で
私の子育てを間違ったと言い出し、鬱状になり
今年の2月、私は
精神的にかなり追い詰められていた。
ニイスケは厳しい高校生活の反動と
バスケ大好きなのと
力強く伸びやかな若い感性とから
高校卒業式のあと、八村塁の髪型を美容院でオーダー。
それを叶えるため、校則スレスレのところで髪を伸ばしていたのだ。
私は「おお、やるやん。弾けたな^ ^」と
微笑ましく思っていたが
(まあ「ギョーカイのイキったオッサンみたいな、
ロン毛を後ろに束ねるのは好かんで」…とは言いました)
まさかそのことで
母がノイローゼ状態になるとは思わなかった。
「あんな髪型を許すアンタ(私)が信じられない」
「アンタの育て方、どこで間違えてしまったんやろ…(泣く)」
*
*
*
様々な軋轢があり(割愛)
母は最近も私を責めていたけれど
ニイスケは入学式直前に入寮。
超インパクトのある、モジャモジャ頭で大学生活を謳歌。
つい先日うちに帰ってきた時、ニイスケは
「散髪行くわ。飽きた」と
乾きが悪いそうです(^^;
高校時代と同じく、サッパリしたツーブロックに。
なんでもOKというわけではないけど
危険や犯罪要素のないことなら
やりたいことは、思い切りやらせてあげよう。
満足したら、落ち着くし
極めるのも、また良し。
締めつけたところで、変に拗らせるだけだもの。
小学校はしょっちゅう「頭痛」で3時間目登校、
月に3日はそのまま欠席していたサンベエが
中学は、体育も音楽も嫌がらず
80分の通学時間をものともせず
入学半年で病欠3日、無遅刻
得手に帆あげて揚々と、中学生活を送っている。
「授業のあとに部活があるから、授業受けられるねん。
朝に部活で そのあと授業なら、やる気出ぇへんわ〜」と
真顔で告白していた(^^;
「その子を思って」の周りのアドバイスは
場合によっては、言った人自身の願いにすぎず
その子のためになるとは限らない。
私はニイスケを、例え法・経・商学部に入れても
本人が興味を持てず中退したら何にもならないから
進路「操作」などしなかった。
高校時代は美術と体育と数学しか高成績を取らなかった子だけど
子育てに、やはり多少の悔いはあるけど
でも、今、本人が望む道で
ちゃんと授業に出席して
懸命に課題をこなしている。
自ら湧き出た思いから「自信」を持つことが
何より大切ではないだろうか。
自分の本来の希望を捻じ曲げて法学部を選び
親がうっすら期待している方向へ行ったけど
この歳になってガタガタ崩れかけた私より
よほど、子どもたちの方が立派だ。
私は
私の失敗を無駄にせず、子どもたちを応援したい。
そして
これからの自分に、うんとうんと期待している。
よーし、
負けへんで〜 o(^-^)o