私の亡父は高校野球が大好きで

その反面、プロ野球が嫌いでした。

中でも◯ャイアンツには相当嫌悪感を抱いてた

(大阪の人間ですし、ね…お許しを)


プロは緊迫感がない、ダラダラしとる

と言っていた記憶が。

(すみません。46年前に亡くなった人のセリフです)



…そういえば相撲、

父は北の海を、

私は無邪気に父と対抗したくて、

輪島を応援してた(*^_^*)

(同世代以上の人じゃないと通じない話やな)




そんなわけで

ウチでテレビのスポーツ観戦といえば

高校野球(と相撲)でした。


父とテレビ観戦した高校野球。

父亡き後も、どこかで父との繋がりを感じる、そして

「憧れのお兄ちゃん」の世界でもありました。


牛島と香川のバッテリー良かったなあ…



(おすもうさんは

琴風を応援してました。

私も、成長痛のあおりか、中学生の頃からずっと

疲れたり悪天候の時は左膝が疼いたので

他人のように思えなかったのです。

笑顔も素敵だったし。)




私は桑田・清原と同学年ですが

彼らが甲子園に出ていた時は、それはもう

力が入りました。

地元大阪の学校だったしね。

あの子らと同級生なのか!という純粋な驚きと

私も頑張るぞ!という密かな闘志。



高校時代、運動部員で

最大の夢が高校総体出場だったので

団体戦メンバーに選ばれた時の嬉しさ、

不調の時のプレッシャー、、

レベルは全然違うけど

当時から結構、高校野球には感情移入して見てしまいます。

(あの頃、中継されるような高校スポーツが

今と違って他になかったし。)

でも今の、取り上げ方の過熱ぶりもどうかと思うが…



うおおおお

甲子園に応援に行きたい!!!

でも

…スポーツ観戦に出かけるなんて

どこでどうすればいいの?…な家庭だったので

それは夢のまた夢でした。





時は流れ


いつの間にか高校球児が年下になり

じっくりテレビ観戦する時間もなくなり


それでも

TVニュースのほんの数分の画像で

勝者よりは敗者の気持ちになって

涙ぐんでしまったり。



私は、基本的に大阪よりは

「自然環境が厳しい地区代表」を応援します。

日本海側とか、北陸、東北、北海道など。

だって大阪の学校に比べて、断然

積雪など天候に阻まれる面があるやん?




さて


出会いと長生きはするものです(?)

身内が卒業した大阪の高校が、コロナ禍前

夏の甲子園、府の代表校となり

(上述の「基本的に」の、唯一の例外校(^^;)ゞ)



…この学校ね、

球児によくある「野球留学」の子がいないんですよ。

学校に寮がないから、皆、家から通う地元の子。

だからやけに強い「あの学校」とは違うぞ〜!

(「あの学校」に勝つとテンション上がる(^^; )



※もちろん

こどもさんを遠くに送り出す、

場合によってはお母さんも一緒に移住する、

そんなご家庭を非難しているのではありませんよ

私の友達も、他競技で

息子さんを九州の高校に送り出しているから

その切なさは折に触れ、聞いております。

壮絶な覚悟の上で、15歳で親元を離れるなんて

親子共に偉いなあ…と敬服しております。




…その年、生まれて初めて甲子園に応援に行きました。

子どもたちと義父と、やはり学校に縁のある友人とで。


AM7:30で、おひさんギラギラ



いや〜


第1試合は、超早起きで行かなあかんかったけど…

とにっかく暑かったけど…

痩せっぽちで ちびすけだったサンベエが

倒れないか心配だったけど…

あの臨場感と畝りは、こたえられへん!!!




*   *     *


ちょっと長くなってきたので、ここで。

はい、

昨日、甲子園観戦してきましたにっこり