子どもの前でできるだけ
スマホを弄る姿を見せずにいようと思ったら
どうしても1人外出時の電車内でということになり、
嘆かわしい日本人、を増やしているようで本当は嫌なのだ。
いつも文庫本を鞄に入れてるのになかなか読めない。

でも、8月…

忘れたらあかんことがあるやん。


家事の手を止め、読書の時間をとった。
選んだ本は、以前から家にある、





私の身内に戦死した人いてはるん?
と昔、母に聞いたら
不思議と母方の親戚には1人もいないらしい。

幼い頃の記憶を頼ると
父の叔母さんの一人息子さんが戦死している。
軍服を着た聡明そうな青年の、
セピア色の小さな写真を見た覚えがある。
使用済み郵便切手を、几帳面な文字で整理したそれを
見せてもらったことがあった。
生きておられたら、戦後日本の発展に
きっと力を尽くしたであろう命。


父の叔母さんのことは、住んでいた町の地名から
「天下茶屋のおばあちゃん」と呼んでいた。
当時はまだ近くまで地下鉄が伸びてなかったから
阪堺電車(チンチン電車)に乗り換えて
何度も父に連れられ、お家に伺った。
もうその頃はほぼベッドに寝たきりだったけど。
私はいつも「おばあちゃん」に話しかけたり、
1人でご機嫌に折り紙などをして、父の訪問に付き合った。

父は叔母さんにとても可愛がられていた。
きっと父の向こう側に、息子さんを見ていたのかも。
遅い結婚での私の誕生も、心から喜んでくれたに違いない。


天下茶屋のおばあちゃんは、私が小3の時に亡くなった。
その知らせに私が泣いたら
両親(って言葉、久しぶりに書いた…)が驚いたのを覚えている。
父が何か言ってたな…
「この子、こういうとこある子やねん」…だったかな…


そして、
キヨさん早すぎる、なんでや!って叔母さん
空で言いはったやろな…
その翌年にキヨさん=私の父が胃癌で亡くなった。





太平洋戦争の記憶は
私世代はギリギリ、親が体験してるから身近に聞いたけれど
(母は5歳の時の大阪大空襲で、
逃げる時に爆風に舞い上げられたのを
祖母が必死に捕まえて地上に引っ張り下ろした)


もうこの日本では
かなり薄らいだものになってしまっている。
広島でさえ、平和教育が以前ほどではなくなってると
広島で生まれ育った方の発信で知りました。


この半藤一利さんの本は、文字も大きめで読みやすいです。
(でも、いよいよローガンのメガネが要る…と
気付かされもした)

いつも読書は、隙間時間に少しずつ読んで
読みきれず忘却の彼方になりがちだから
今日だけは、と
しっかり時間を確保して読み切ってみた。
(割ける時間の関係上、昨日から2日がかりになりました)



80年近く前の「兵隊さん」が
自分たちと何ら変わらない、
スポーツに心を奮い立たせた青年だった。
今の若者が…いや、私達世代もだけど
このような過酷な運命に翻弄され
正気でいられたり、利他を考えることができるだろうか。


守りたいものがある、ということが
人に驚異的な力をもたらすこと。
そしてその、命懸けでも「守りたいもの」、
自分にとっては何だろう。


これまで考えたこともなかった
樹々の緑と、平和の意味。
それは最近のTVニュースの中でも気付いたはずだったのに。


半藤さん生前最後の著作となったのが
若者に向けたこの本だということを
しっかりと受け止めて、次の世代に受け継いでいかなければ。


とりあえずは、母からうちのボーイズに
戦争体験を語ってもらおう…。


*     *      *


そして
何年も前から考えていること。

画学生ニイスケを、いつかここに連れていく。