昔々(といっても50年ほど前)…充分、昔?
親戚のおばさんから譲られた腕時計をつけようと、
父の腕を見ながら装着してみたら、
父がひと言、
「ちがう。
女は、腕の内側に付けるんやで」
へー…
おとうさんとは ちがうんや。
そういえばおかあさん、そうやな…。
幼かった私は素直に従い、なんの疑いもなく今に至ります。
でも、
どうやらそうじゃないのね、一般的には。
父が年配だったせいもあるかもしれない。
中学で友達に「なんで内側に着けとん?」(←神戸弁)と聞かれ
カルチャーショックをうけたものです。
ただ、長じてボーイスカウトで野外活動の引率の際は
防水機能があるアウトドアタイプのものにしたので
(えげつない雷雨に何度見舞われたことか)
腕の外側につけましたが、時間確認のたび違和感が半端なかった。
つい癖で手首の内側を見てしまってた。
私もめっきり、着ける機会が減りました。
スマホで事足りてる面もあるけど、
大きな理由は、これ↓ が大切すぎるから。
ずっと現役の、祖母からの高校入学祝です
ということは、40年前の…。
通学、部活、試合、入試、就職…ありとあらゆるシーンで一緒でした。
今も汗をあまりかかない季節には着けます
写真で見ると酷いな…
もう、周りが腐食してるんだけど
文字盤の数字のフォントや秒針のデザイン、
全体の色合いなど(ベルトは交換の度、このキャメル色の革に)
私にとっては非の打ちどころのない時計。
* * *
なぜそうしようと思ったのか覚えてないけど
一時、腕の外側につけた時期がありました。
でも、文字盤に傷がつきやすいこと(大切なので傷つけたくない)と
やはり幼い頃から身についた仕草を変えるのは難しく
すぐに元に戻しました。
でも、今思うと
それでいいのだ。
幼少期から男手のない家で
「買い出し」や「力仕事」「組立」担当などを担ってきたせいもあるのか
私は決して「お淑やか」とは言えず、
いつも飛脚のような気分でいるし(どんな気分やねん)
思い立ったら鉄砲玉、的な そそっかしい所がある。
だから私の動作1000のうち1くらい、
手首の内側を見る、という
楚々とした仕草があってもよいではないかわはは
a.m.6:30の空
ニイスケが幼稚園に通っていた頃までは
私は子どもに持たせる水筒は、コップ付きにこだわっていた。
お茶を蓋のコップに注いで飲ませる。
1日持ち歩く水筒のお茶に口をつけることの
衛生面も懸念してだけど、それより
人前でする「ラッパ飲み」の仕草が、端ないと感じていたから。
* * *
月日は流れ
ペットボトルが蔓延し
気候がかわり
猛暑続きの近年では
そんな考えは化石のようになっただろうけど
それでもやはり私は、
人前でペットボトルを飲み干すのはやはり恥ずかしくて、
いつも最後は、隠れるようにして飲んでます…
私の中に砂金のように残る、色気のカケラは
大事にしようっと
(…そもそも、色気なのか? 笑)