こんにちは!
第1子イチコ、第2子ニイスケ、
第3子サンベエのハハをしております、

きさんじ母さんのブログにようこそ照れ

私は子どもの頃、かなり内気でした。

というか、マイペースとも言う…


私は昭和41年の丙午の次、

出生数が爆増した学年にあたり

幼稚園入園審査?はかなり熾烈なものだったようです。


両親が意気込んで面接を受けに行った某園。

先生「お名前を教えてください。」

私、ハキハキと

「『◯◯◯ちゃん』って言うの〜(^-^)」

え、そこフルネームで答えるとこやな?


ご機嫌でそう答えたのち、

先生が、何を質問しようが

「これは何かわかる?」と犬などの絵を指そうが

おはじきを並べて気を引こうが

素知らぬ顔で、ご機嫌でゴニョゴニョ

積み木とお話ししていた、らしい。

(私は記憶にない。親からの話)


そして

先生「はい、今日はこれで終わりですよ。」


私、またもはっきりした声で

「また来ます〜(^O^)」


…同じ部屋で固唾を飲んで見守っていた父と母は

顔を見合わせて

「あかんわ…(泣)」

と膝から崩れ落ちそうな思いで園をあとにし

すぐに、別の園の申し込みに行くことを決めたらしい。

早朝から並びに行くとかなんとか


ところが。

例年より数日早いな、ハナミズキ


私の「また来ます」を

ガッツリとキャッチしてくださったのか


その園に、ご縁をいただきました。

(親父ギャグではない)

ちなみに某大学附属幼稚園です 当時の家から近かった


体は大きかったものの、

早生まれでひとりっ子で

近所に遊ぶ子もおらず、

発達というか

社会適応性においては、かなり

劣っていた…いや、遅れをとっていただろう。

入園してからのことは

楽しかったとは思うが

(毎日、空のお弁当箱に、園庭で捕まえた虫を入れて、帰りに

母と寄る魚屋さんや八百屋のおばちゃんに自慢げに見せていたな…凝視

皆でする作業の時に、やけに困ってたこととか

床に置いた大きな紙(多分、何か掲示するための)を

なぜか飛び越えようとして失敗し、お尻で破ってしまったりとか、

お弁当食べ終わるのがいつも一番最後だったこととか、が

やたら思い出される。


…なんか、、ロクな思い出がないな驚き



油断するとすぐにニョキニョキ…でも綺麗な色!春はこれやね


…ゴホン


まあ、何を書きたいかというと


ちっちゃい頃、心配な面があっても

なんとかなる

受け入れてくれる場はある

1人目は、どうしても心配しがちだけど

子育てって、案ずるより産むが易し、なところも多い。


そう、受け入れてくれる場が

ひとつあればそれでいい。

そこから歩き出せる。

羽ばたくこともできる。



梅がもう実をつけているよ


イチコ、就活がんばれよ。

だいじょうぶ、そのままで行きな。

母さんは、こんなポンコツ園児だったけど

バブルの弾けた年、何とか就職もできたし

今も1人遊び大好きで

そこそこ幸せに生きてるぜ。