69年前の原爆で私の祖母2人は被爆しました。
焼け野原になったナガサキの町のがれきの山、異臭、水を請ううめき声、夜の暗闇は一生忘れないと語っていました。
また、それらは映像や言葉や写真では伝えられないとも…。
祖母が一番目に焼き付いたものは人の死体で埋った川の流れ。
水を与えると死んでしまうと言うことを聞いて、どうすることも出来なかったうめき声。
祖母はその中を親戚を探して浦上の町を歩いていたのです。
8月6日のヒロシマの原爆投下の日、祖母は下関で仕事をしていました。
しかし、一歳にも満たない息子を亡くし、その亡骸をどうしても長崎のお墓に眠らせたいと、必死の思いで帰ってきたのです。
やっとの思いで帰り着いた長崎。
そこで祖母はまた、原爆にあったのです…。
そこまで聞いたとき、わたしは怖くなりました。
耳を塞ぎたくなりました。
祖母の話す言葉のひとつひとつが、一瞬にして、自分の日常ががれきと化する可能性の高さ。
生活の破片の生々しさに「死」が私たちのすぐそばまで迫ってきているような感覚を覚え、恐怖しました。
でも、しょうがないことだと思うんです。
デリカシーとか、気配りとか、勉強不足とか、そんな話ではなく、終戦からもう69年も経過してるんですから。
多くの人にとって戦争はもう69年「も」前に『終わった』出来事なのです。
自分や身内が体験していない限り、もう戦争はとっくに終わったことなのです。
しかし、祖母たちにとって終戦は決してないのです。
この時期になれば思い出したりもしますが「大変だろうけど……」というのが現実ではないでしょうか。
私たちの日常はものすごいスピードで進んでいます。
毎朝当たり前に目が覚める。
一日中、仕事や家事育児、子供は学校へ行って、帰れば塾や習い事。
テレビも見なきゃいけないし、スマホをいじったり、友だちと遊んだり、ケンカしたり。
とんでもなく忙しくて、もうあっと言う間に季節は何回も変わって、明日自分が思わぬ事故や、震災やましてや戦争で死ぬなんて思ってもいないですよね。
【私たちの生活は一つの原子爆弾であっけなく終わる】
【いつどこで戦争がおきてもおかしくない】
そんなこと頭では理解しているつもりでも、心のどこかでは(自分は大丈夫)って思いませんか?
ほんの69年前の夏、間違いなく人々は「死」は身近であり、誰もが「人間は突然死が訪れる」という事実を知ったのではないでしょうか。
しかし、そんな時代だったからこそ、誰もが懸命に今を生きていたのかもしれません。
だから、せめてその経験だけは、あの日の記憶だけは活かしたいのです。
この時期だけでも、忙しく動き回る足を止めて「今の自分の生き方」を見つめる時間をほんの少しだけ取ってみませんか?
私たちはいつか必ず死にます。
大切な人や家族とも、いつか必ずお別れが来ます。
そしてそれは突然やってきたりします。
それを考える時間を持ってもいいのではないでしょうか。
これを、不謹慎と思うしょうか。
それとも、めんどうでしょうか。
「死」は身近であることを考えることで、もしかしたら何かを変えることができるかもしれません。
何か行動できるかもしれません。
祖母や被爆者のためではなく自分のために、です。
今よりも、ほんの少しだけ本当にやりたいことをやれたり、会いたい人に会いに行ったりできるんじゃないでしょうか。
もしかしたら、それが結果として、回り回って誰かを元気にするかもしれません。
私たちは、戦争体験談を直に聞くことのできる、最後の世代かもしれませんから。
それが、話の最後に言った、祖母の言葉に応える行動になるかもしれませんから。
『戦争は絶対にやってはいけない。』