明治時代の17代横綱、初代の小錦八十吉(1866年~1914年)とはハワイ生まれ元大関のタレント小錦八十吉は6代目に当たる。
現在の千葉県生まれる。168センチ、143キロ。現在の豊ノ島とほぼ同じ体格。
1888年5月場所の新入幕から39連勝を記録。その間に優勝相当成績を7回記録するなど、入幕当時の勢いは凄まじかった。1896年5月場所後に吉田司家から横綱免許を授与された時には史上初となる29歳での授与だったが、既に全盛期を過ぎており、一度も優勝相当成績を残す事が出来なかった。
1901年1月場所を最後に現役を引退して年寄・二十山を襲名、二十山部屋を創立した。引退後も7年間は髷を付けたまま勝負検査役・取締役に就任した。1914年10月22日、48歳で死去。
墓は千葉県横芝光町上町にある。
生涯戦歴 127勝26敗101休9分7預/169出(27場所)
幕内戦歴 119勝24敗101休9分7預/159出(26場所)優勝相当成績7回
横綱戦歴 37勝17敗37休6分3預/63出(10場所)
大関戦歴 52勝7敗59休1分1預/61出(12場所)
小結戦歴 15勝0敗3休1分1預/17出(2場所)
前頭戦歴 15勝0敗2休1分2預/18出(2場所)
十両戦歴 8勝2敗/10出(1場所)