1914年(大正3年)、野口英世37歳、米国で撮影
大変珍しいカラー写真です。写真はコダックという会社。いわゆる日本人第一号という。
1904年(明治37年)に米国のフィラデルフィアに滞在していた前総理大臣の伊藤博文に出会っていた。お互いが千円紙幣の肖像に採用される事になる。
1876年(明治9年)11月、福島県生まれ雪国の貧しい農家。1877年(明治10年)4月、清作(英世)は1歳の時に囲炉裏に落ち、左手に大火傷を負う。1894年(明治27年)、会津若松で開業していた米国帰りの医師・渡部鼎の下で左手の手術を受ける。その結果、不自由ながらも左手の指が使えるようになる。(完全ではない)
黄熱病と梅毒の研究する日本人細菌学者。1928年(昭和3年)5月、現在のガーナ共和国で黄熱病によって病死した。51歳。
ノーベル賞の推薦が三度挙がったが、実現しなかった。
野口英世の母は読み書きが出来ない。近所のお寺の住職に頼んで一から習得した。1912年(明治45年)1月に母が米国にいる英世宛に手紙を送った。一通の手紙が現存している。
尚、野口英世の身長は153センチあった。小さな日本人博士である。借金の天才、借金は返さない、恩師から頂いた金銭で遊郭で豪遊、医者になった後も開業せずに仕送りをせず母親に産婆生活を強いる、現代では彼の研究成果は否定されている。