3秒立ち止まって考えていれば防げた災いも少なくないはず…。
その3秒を作る余裕があるかないかで、人生が決まってしまう怖い社会が、今の日本、なのかも知れません。
そもそも、余裕というものは、失敗を積み重ねて頭を打ちまくってきた大人だけが手にすることのできる武器…。
その武器を手に入れる前に、進むべき進路が断たれてしまうような世の中が今の日本とするなら、
未来を託された子供達は、何を武器にして生きていけばいいのでしょうか。
正義や正論は、ネットの普及する前の時代においては、今ほど声高に叫ばれることはありませんでした。
今ほど吊し上げられたり、炎上させられたりすることはなく、
誰もがひっそりと失敗を熟成させ、人に迷惑をかけない程度にのびのびと大人になっていけたような気がします。
流れる時間もゆるやかで、考える暇も行動にうつす暇も有りすぎたからこそ、
コミュニケーション障害などという言葉もありませんでした。
だって、思いを乗せる言葉も伝えるための表情も互いに紡ぎあう時間がたくさんあったから…。
と言うか、時間や余裕だけが、皆の標準装備だったから。
アメリカでは、転職の時、君は何回失敗したか、を聞かれることがあるそうです。
失敗した経験と乗り越えた経験は、知恵としてその人間のパワーとなり、ちゃんと今の現実に対応できるアップデートがされていると判断され、
少なくとも前向きに頑張ってくれると期待されます。
けれど、今の日本は、皆が優等生を求められ、失敗すると立ち上がれないほど叩かれるという空気に満ちています。
叩かれても意に介さない強者になるか、
ひたすら叩かれない生き方を目指すか、
考える時間だけは、ちゃんと自分の中にキープしていけるようにしていきたいものですね。