小説はたとえフィクションであっても だからこそ事実よりも伝わる想いがある
商業主義は不要とは言えないけど 真摯に人の心と向き合わねば
松岡圭祐さんの 【新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅱ】
最近では新刊の寿命を短い。三か月を待たず書店は売れ残りを取り次ぎ返還する。たちまち中古本が安く叩き売り出される。なら鮮度のあるネタを素早く売りさばき、まとまった金を手にすればいい、そんな考え方が業界内にはびこっている。
「やるんだよ、一部の編プロは。宿題に教科書ガイドの回答を丸写しにすような、低俗な手法であっても、出版社が金を出すとわかれば抜け目なく実行する。たぶん班雪社も、イメタニア社がそこまで安易な仕事しているとは思ってない」
人の取り乱すさまを、何度か小説に書いた。だがそれは演技を思い描き再現しただけの、二次的な描写に過ぎなかった。今になってそのことを痛感する。總崎祥子はなりふり構わない態度を示していた。理性を失っているとか、そんな単純なものではない。あの縋り付かんばかりに救いを求める目。思いが胸に突き刺さるようだった。
あれが幼い娘を失った母親の心情。想像とはまるで違う。悲哀などという単純な言葉では形容しきれない。ただひたすらに激しい。
――ー「わたしに世界の文豪のような表現力は、とても無理ですけど……。總崎さんが文学に触れて、初めて感じられたこともあったはずです」
「いえ」祥子の顔は上がらなかった。「事実を淡々とつづろうと、抒情あふれる表現で描写しようと、活字は読むものをわかった気にさせるだけです」
「ですが……」
「杉浦さん。読書時に浮かんでくるものは、記憶を頼りにした光景に過ぎないでしょう。人それぞれ違います。活字は誤解を生みます。どうかわたしと亜矢音のことは、もう放っておいてください」
静かな物言いではある。だが対話をきっぱりと拒む、そんな一言だった。
誇れるものは何だろう。趣味の文学研究で培われた読解力か。どの程度備わっているか疑わしい。とはいえほかに秀でた能力もない。読むことと書くこと。好きが高じて得意になったのはそれだけだ。
ならそこに立ち返るべきではないのか。『告白・女児失踪』を丹念に読み込む、まずはそれしかない。自分にできることから始めるべきだ。
かつて秘密の工作員・スパイだった人たちが 自分の業績をどうにか世に示そうと
売れない小説家に秘密をさらす あるいは編集者になりすまし名前だけ利用して出版させる
そんな話を聞いたことがあった
秘密は墓場までもっていく と若いうちは豪語してみせても
いざ任務から解放され独り放り出されたら たちまち信念が崩れる
豊かな生活やカネのためにも 経験してきた国家秘密を小説に加工して世に出版してしまう……
良いか悪いかの判断は脇に置くとして 秘密というのはカネになってしまうらしい
ソレが誰も経験したことが無い刺激的なことであればあるほど 他人の覗き見趣味をそそらせてくる
生活にはカネが必要になるけど カネは暗く下世話な欲望であればあるほど集められる
ものすごい悪循環 社会にとっても自分にとっても最悪な結末しかもたらさない
出版業界あるいはもっと資本主義経済の歪みとも言えてしまうけど 非難したところですぐに改善してくれない・できもしない・そもそもする気もなさそう
なので妥協策として 住み分けさせるしかない
なにもかもごちゃまぜにするグローバル・多様性社会では そちらが生き残りやすく蔓延しやすくなってしまう
分類・ジャンル分けあるいはもっとレッテル張りですら 時には必要な処置になるのかもしれない
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