義和団事件 ソレは事件と呼ぶにはあまりにも世界的危機だった

眠れる龍がついに目覚めた 死をも厭わぬ中華の人津波

何のために戦うのか こんなにもバラバラで苦難の先に何がある?

死ぬために戦ってなどいない 生きて生きるためにこそ命はある

 

松岡圭祐さんの 【黄砂の籠城】上下巻

 

 

柴中佐は、満州人や漢人が面子にこだわるのを見越した上で、あえて腰を低くしたのではなかったのか。だが柴は今、こういう民族だと断定してはいけない、そういった。実のところ、柴が策を弄して人づきあいをしているようには思えない。普段見せる温厚さも偽りとは考えにくい。

変わった人だと櫻井は思った。まさしく駐在武官の役割通り、外交官と軍人という二つの顔を有している。しかもいずれも素顔と信じられる。

 

―――「よく覚えておくことだ。戦をするなら勝て、官軍になれ。賊軍は貶められる運命だ。官軍は戦を正当化する。賊軍は信念を誤り滅ぼされるべきものたちだった。そう烙印を押される。だから勝て、しかし万が一にも、敗北に至った場合は……」

「はい、そのときは潔く――」

「生き延びろ。そして誇りを忘れるな。自分の中にある真実を、戦場から持ち帰れ」

 

なぜ柴が当初、控えめな態度を取っていたのか、今なら理解ができる気がする。柴は外国人の自尊心の高さを知っていた。我のぶつかり合いになったのでは、信頼など築けないとわかっていた。自国を認めさせるのは、解決困難な問題に直面した時の対応にある。そう考えていた。だから見えにとらわれず、誰に対しても頭をたれ、穏やかに接してきたのだろう。弱腰などではなかった。人間性にこそ真の強さがある。

 

「外国兵らがときおり示す、生への執着を笑うな。恐怖は恥ではない、生きるために力になる。大義のためと言いながら死に急ぐことが、むしろ楽な場合もありうる」

―――

「心配するな、皆思っていることだ。誰でも生きて帰りたい」

 

 

「義和団事件」 これこそ大河ドラマとして語り継いでいくべき史実だった

柴五郎中佐 彼こそ世界に誇るべき帝国陸軍人の理想像だった

いくら軍隊に対するヒステリックなまでの拒絶感があるとしても 良いものは良い

なぜ頑なまでに語らないできたのか……

宣伝しているモノよりも語らないモノの方が重要

色々と伏せられてきた事実を情報公開されてきている昨今の流れ 義和団事件の真実についても明らかになる日は近いのかも

 

ただこの事件をもってして 戦前の帝国日本の方が現代よりも良かった……とは思えない

柴中佐や他の軍人たちならびに当時の日本人の人々の徳性は 明治政府の「教育」の賜物ではなく江戸時代までに培われてきたものだった

時代の変換期ゆえのこと まだ残っていたそんな高徳な人々が外に押し出されたがために陽の目をみれた偶然な出来事でしかなった

事実その後の日本はドンドン悪くなっていった 明治政府の教育は間違い以上に有害なものだった証拠

でしかないのに自分たちのおかげだと曲解の末 今日までコベリついてきた……

 

時代の変換期には必ず前時代の成果が露わになる 外に押し出されれば必ず陽の目に触れてしまう

これから世界に誇れる・賞賛される何かが露わになるのか それとも膿しかでてこないのか

いやがおうでも 総決算は成される

柴中佐……とはいかなくとも 義勇軍として立ち上がった日本人にはなれたら嬉しい

 

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