言わずと知れた古典SF

いま改めて見ても 内容に古さを感じない時代先取りのセンス

というかもしかしたら ただ彼の時から成長できていないだけ……?

 

H・G・ウェルズさんの 【モロー博士の島

 

内容については割愛

科学者・理性の骨格に組み込まれている狂気と 決して相容れない動物たち・本能

拳銃と戒律と相互監視がなければ 人間はたちまちのうちに動物へと「堕落」してしまう

ゆえに人間が人間であるためには それら3セットは必需品になる

不愉快に感じるだろうけど必要悪 不愉快であればあるだけ「真実」になる……

本当にそうなのだろうか?

そもそも既存の動物を手術・遺伝子改造によって 亜人・獣人にしたてあげれるかは脇に置いて

もしも二足歩行ができ言語を解する獣人が誕生したとして 創造主・科学者の「献身的」なメンテナンスが無くなったら たちまち動物にもどってしまうものなのか?

ウェルズさんならびに当時の人達にとっては それは実感の伴う「常識」だったのかも

でもソレが本当の真実だったとは限らない

大量の農薬やら殺虫剤やらの人工物を浴びせ続けても 死に絶えるよりもむしろより強靭に生まれ変わるのが自然

どれだけ有害だろうが変わり種だろうが 受け入れて一部に組み込んで新しい調和をつくっていく

自然の受容力はケタ外れで むしろ人間社会のほうが排他的で新しいものを受け入れる力が弱い

もしも獣人なる存在が誕生したとしたら 

人間社会では化物扱いされてしまうけど 自然界ではむしろ重宝されることもありえる

もともと人間も自然の一部だったけどなぜか敵対状態 その人間に期待している役割を獣人が担ってくれるとあればなおのこと

拳銃も戒律も相互監視も必要ない

ただ一体でも誕生させたらたちまち大量発生 遺伝子改造ノウハウだかを取り込んではすすんで生み出していくことも

その結果 モロー博士たちが恐れたのとは真逆

獣人たちの急速な進化に置いて行かれた人間の姿が 浮き彫りになっていくことも

「生命力」はつねに自然界にこそあるものなので 直接つながっているものにこそ「未来」もある

 

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