桐壺優【隠された世界】』さんの 興味深い動画

改めて カメラ・写真について考えさせてもらえた

 

 

Shoot(シュート)あるいはShot(ショット)

(銃弾を)撃つ」や「(弓矢を)放つ」 に加えてある意味が

(写真・映画を)撮る

日本語的には 全く別々の意味なのに

英語的には 同じ動詞を使えるほど似通った意味になってる

 

改めて見ても やっぱり別の動作としか思えない

自分から何かを「出す」主体性と 反射光を「受け取る」受動性の真逆さも

けど 公式の史実において カメラ・写真の原点は欧米文化圏から

なら 二つを同一の動作だとする彼らの感受性には 何か意味があるはず

銃弾や弓矢 武器・殺傷道具でしかない物と カメラは同じものだと……

 

カメラは 光の反射をフィルムにおさめて写真を作るだけ 殺傷機能などないはず……

でも「ある」のだとするなら ソレは目に見える・痛覚を伴うような傷害ではないのかも

物理的な身体 ではなく 心・精神に悪影響をあたえてしまう道具―――

心理面まで考慮すると確かに 写真一枚がもたらす殺傷力は 弓矢や銃弾と比べても遜色はない

時に「ペンは剣より強し」と言うように 時に「カメラは銃より強し」になる

 

もしも 上記のような考えで同一のモノだとしていたのなら

先史時代のタルタリア文明期 

現代よりはるかに進んだ技術があるのに カメラ・写真の痕跡が見当たらないのには 危険性を熟知していたからかも

刀狩り」ならぬ「カメラ狩り」を断行して 平和を維持してきたのやもかも

 

銃を撃つポーズのイラスト(女性)