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(2021.9.6月)
大切な方が亡くなられた時、お通夜前にすることの1つ。

一般的には清拭の方が多く知られていると思う。

母が亡くなった後に葬儀屋さんとお通夜&告別式の進め方を話していた時に、初めて「湯灌」というものを知った。

清拭は体を拭いてあげること。
湯灌は風呂に入れてあげること。

父は清拭だった。

きれい好きな母であり、風呂がどうのこうのって良く言っていたし…。
あまり動けなくなると、うちのアパートの風呂に入りに来たり、状況が進むと「体拭いてほしい」「足拭いてほしい」と頼むようになり…を経由して、デイサービスに行くようになった。
恐らくデイサービスの風呂が一番気持ち良かったのではないか?と推測される。
常に自分で頑張る人だったから、誰かにしてもらえることにホッとしたのではないだろうか。

葬儀屋さんの手で母を湯灌に入れる時「そばにいますか?」と聞かれた。
父の時は室外に出ていたので見ていなかったが…
母は…こんな機会一度しかないからと思い切ってそばにいることにした。
そして目に焼き付けておこうと思ったから。
従姉1人と一緒に。
他の親戚さんたちは外で待機。

葬儀屋さんの手によって綺麗にされている姿を見て、まるで生きてるように感じた。
その場にいる間は気持ちとしても「………」な状態であったが、その意味を後に感じることになった。

自分の勝手な思い込みだが、
その場にいること、すなわち息を引き取ったとはいえ、この世とお別れした1人の人間と向き合う必要性があるんだろうな、と。
もし外に出ていたら、それは逃げているに等しかったのかも知れないと。
あの時向き合って、この目に焼き付けておいたからなのか、時々ふっとあの気持ちが甦る時がある。
それも生きる糧の1つといっていいのかもしれない。
あの時、その場にいて良かったんだんだろうなと今は思う。
多分。

棺桶の種類にもビックリした。
今まで苦労が絶えなかった母だったから、せめて少しは綺麗な棺桶を、と少々奮発した。
殆どといっていいくらいおしゃれをしていなかった母だったが、昔着ていたおしゃれなワンピースも棺桶に入れて。

見送るという役割。

みなさんも快く見送れますように照れ