​働くことに迷ってしまう


息子が社会に出たので、私も働こうと思いましたが…

息子が社会に出るまでに、夫は2回も長期入院しています。

2回目倒れた時は出勤途中。突然、倒れて気がついたら「大丈夫ですか?今、救急車を呼びました。」と声をかけられていたそうです。原因は不明。

当時、私はパートで働いていましたが、顎の骨を骨折してしまってるので、釘で固定する手術。その後、骨が固定したら釘を抜く手術をしました。主人が入院した病院は手術室が空いている時に、主人の手術をするので何ヶ月も前から予定が立てられませんでした。そのため、いつ休まれるか分からないパートでは困るという事で退職。

主人は口に出して言わないけど、また倒れたらという恐怖はあると思います。

心臓も3分の1しか動いていません。

そういう状況なので、常に私は働きたいけど、働いて良いものか?

そう思っていました。

その後に、息子が社会に出てメンタルを壊しました。

毎日、瞼を半分閉じてTVに繋いだYouTubeを見ている息子。毎日、同じ電車のYouTubeだったので「乗りに行かない?」と誘い名古屋まで行ってきました。

主人や息子のメンタルに気づいて働きかける事、働いていたら出来なかっただろうと思います。

そして、年齢的にもブランク的にも職探しには難しいものがある😓

働いてたのは昭和時代。ワープロの時代。
メールでの送受信なんてなかった時代。

​疎外感ハンパない


職探し、年齢的にもスキル的にも難しくて見つかりませんでした。

今は、放課後ディサービスという、子どもを預かってくれる場所がありますが、息子が小学生の時は学童しかありませんでした。「ハンデのある子はお断りします」って感じでしたし、療育先も親が一緒にが条件でした。

息子が中学生になった頃に放課後ディサービスが出来ましたが…当時は小学生まで。対象年齢が合いませんでした。

放課後ディサービスって、対象が小学生まで→中学生まで→高校生までとなったんですが、息子が通所したくても、使いたい時に使えない年齢でした。

ずっと働くことに悩みながら家庭にいたので、スキルって言えば昭和のもの。お話になりません。年齢も四捨五入したら60歳です。求人を見つけても年齢とブランク長い事で落とされる。

私は家族には必要とされてるけど、社会には必要とされてないと腐ってました。疎外感がハンパなかったです。その思いは今も消えていません。必要とされてないけど社会と繋がろうってきもちで外に出始めました。


​社会福祉協議会で活躍し始めました

最初は地域のささえあいのボランティア団体が募集をかけていたので行ってみました。
社会福祉協議会が手助けしている団体でした。月1回の集まりに参加しているうちに社会福祉協議会の人と顔見知りになり、社会福祉協議会の発行する広報を読むようになりました。地域の福祉が少し分かってきました。社会福祉協議会の広報にボランティアや福祉で働く人を募集しています。

最初は、ボランティア会員に応募してみました。そして依頼が来てのボランティア。時給¥1000以下で多くて2時間。

その後、「あっ!これ自分の老後に使えるサービス」と感じた【権利擁護】の生活支援員に応募して、権利擁護の勉強をしました。

ボランティア&生活支援員に登録していても、依頼が来なければ仕事はありません。
「退屈だなぁ〜」と家に引きこもっていたら、市民相談員の募集をしてたので応募。こちらは相談室に当番でなくても行けるので行ける時は足を運んで傾聴を磨いてます(無料)

​福祉サービスそして環境作り


社会福祉協議会で週1ですが、市民相談員として活躍し始めました。それでも職員ではないので都合が悪くなると休めます。
息子がメンタルを壊して目が離せない時は、休んでも「ボランティアなので自身の生活を優先して下さい。こちらは何とかなりますから気にしないでください」と言ってもらえるので、ありがたいです。

主人が倒れたり、息子のメンタルがおかしくなったり、過労で私が寝込んだリって思うと働かないで地域で活躍していた方が良いのかも知れないと思い始めています。

市民相談員で社会福祉協議会の人と会っていれば、認知症になったら気がついてもらえるし必要ならば施設などに繋いでくれると思います。

相談員をしていて、ハンデのある人が第三者と関わり助けを受け入れる大切さも学びました。親なき後は、本人が支援したい人を拒絶してもフォローできません😱

息子は、B型に通所しているので社会福祉協議会の方や地域の集まりには顔を出せませんが…母の私が息子の啓発をして、地域には息子がいるとアピールしています。うるさくない程度ですけどね。
 
そして、日中活動をしてしている息子や発達凸凹さんの気軽に立ち寄れる居場所。相談できたらリラックスできる場所を立ち上げようと動いてます。

これは、繋がりたいサービスに繋がらなかったり行政手続きで苦労したからです。
私は独身のころに働いており、それなりに知識があったので動けましたが社会人1年の息子1人では何のアドバイスもなければ動かないだろうと思います。定着支援を途中で打ち切られ、その後も支援して欲しいのに支援者に連絡がつかない状況でしたから、情報提供してくれる安心できる場所は必要と思ってます。

子どもが成人になると、表立ってサポート出来ませんが…これ、何も息子でなくても発達凸凹さんにならサポート出来るのではないか?息子も私じゃなくてもサポートしてもらえる人が1人でも多い方が良い。発達凸凹育て来たので、私なりの情報はあります。

発達凸凹さんを育て上げた親が集まれば、ものすごい量の情報が集まるのになぁと思います。それを必要な人に情報提供できたら良いですよね。

父は働く&母は地域で環境作り


ハンデのある人に対しても、国は家から地域へという流れになりつつあるみたいです。そして、グループホームも福祉人材も少ないと聞きます。

地域で暮らしていても、安心して相談できる場所、遊びに行ける場所、日中活動をしてない時間に行ける場所。

必要だと思うのに、無いので作る事にしました。私が住む地域の行政は、動かなければ、今の状況で満足してると思うみたいです。

先ずは、「動いている市民がいる」と知ってもらう。それを知った行政が、どう動くか?
それを見ていくのも楽しい😀



私は、発達凸凹さんが少しでもリラックスして相談&情報交換&定型発達とお互いに認め合える楽しい場所という環境を作る&自分達の老後のための環境作りを優先にする!事にしました。余裕があったら働くで良いと思ってます。