大学に入りしばらくして感じたのは、私と違う人種の人たちがいる!でした。

 

大学の年齢が近い女性たちは数年後、大体同じような道を辿りました。

 

いわゆる大手に就職して、適齢期と呼ばれる年齢に結婚して、出産。みんな(今のところ)子供は二人。

 

 

 

彼女たちとは、あまり今は連絡を取っていません。

 

今年もランチしよう!という連絡がきたものの、気乗りしなかったので断ってしまいました。

 

 

 

大学生の頃から10年以上感じていた違和感は、結局「宗教の違い」だったんじゃないかと最近思うようになりました。

 

 

あ、特に私を含め彼女たちも特定の宗教を信仰しているわけではないので、

文化や育った環境に根付いた思考のようなもの=宗教、と表現しているだけです。

 

 

ある事象が起きたときに受け取った情報に対する反応が、違うことってあると思うのですが。

 

 

違って当たり前というか、同じことに重きをおかない環境で育ってきた私には、

え!?そんな風に物事の受け取り方するの!?信じられない……といった反応に違和感を感じていたのでした。

 

え!?日曜日は安息日じゃないの!?とか、お施餓鬼しないの!?みたいな反応に近かったんだな。。。と思っています。

 

 

たまたまなのか、冒頭のコミュニティでは私以外の全員が同じ宗教だったようで、自分だけ勝手に疎外感を感じていたのですが、

他のコミュニティに行けばそのような対応はされない、と学んだため、その点において特に不便はしていません。

 

 

なお、居心地の良いコミュニティでは、同年代の女性が集まって入るものの、既婚未婚はもちろん、仕事の有無や学歴も様々です。

 

ただ、自分と違う思考の持ち主がそこにいても、誰も特別に反応しません。

 

違って当然でしょ、って。

 

 

多様性を受け入れる、とか難しい言葉が世の中に溢れているように感じますが、

多様性って性別とか、国籍とか、人種とか、言語とか、そんなハッキリしたものだけじゃなくて、もっと目には見えにくいものもそうなのかな、と感じます。

 

(そういえば、後者のコミュニティはほとんどの人が2カ国語以上話せます。

元々、留学やら帰国組やら、多様性のある環境に身を置いてきた人たちが多いので当たり前のように違いを受け入れているのかも)

 

 

私は育ってきた環境でも違和感を抱いてきたのですが、それも宗教の違いだったのかなぁ、とふと思いました。

 

自分だけ、いつのまにか親兄弟たちと違う宗教観をもっていたようなのですが、

お互いそれは目には見えないので軋轢というか、自覚できない摩擦が増えたように思います。

 

 

信仰は変えられるものではないし、変える必要も基本的にはないと思うので、お互い落とし所を見つければいいのですが、

宗教が違うと自覚するまでにだいぶ時間を要してしまいました。

 

しかも、「あなたとは信仰が違うのですよ」と言った告白とは異なり、

物事の受け取り方が違うのですよ、と言った提示はある意味当たり前すぎて、相手も受け取り方が難しいのではないのでしょうか。

 

 

わかってるわ!とか、そんなの当たり前でしょ!と言いつつ、実際接してみると(お互い)分かり合えないというか。

 

最後は落としどころを見つけるのだと思いますが、私はだんだんと説明するのも面倒くさくなってしまい、相手に合わせているうちにそれにすら飽きて疎遠になるパターンです。

 

 

友人関係はそれでいいのですが、親族は完全に疎遠、というわけにもいかず面倒ですね。

 

 

向こうもそんな私と付き合うのは面倒だと思うのですが、あれして欲しい、これして欲しい、といった連絡は頻繁にきます。

ちなみに、冒頭の大学時代の友人たちもそうでした。

 

多様性を知らないのと受け入れられないのはまた、別の話だと思うものの、

あまりに話しても何も通じないことが多く、辟易とすることを繰り返しています。

(だから大学の頃のコミュニティにはわざわざ行かない)

 

 

一番楽なのは、多様性への理解のある無しにかかわらず、自分と似た人たちがいる輪に身を置くことなのかな、と思うこともあるのですが、

ジョージにはぜひ、目に見える多様性はもちろん、色々な宗教を持つ人たちと付き合ってみて欲しいなぁ、と思います。

 

 

私みたいに、結局疎遠になるかもしれないですが(笑)。