ジョージが突発的に、ハクナマタタみたーい!と言ってきました。
最初みせたときは反応悪かったけれど、こうやって後日見たがることもあるのね。
相変わらず、日本語と英語を聞きくらべています。
ところでタイトルの件ですが、スカーの名言。
動物の世界は、人間以上にきっと不公平にできてるのでしょう。
子供を生むまでは、社会が不公平なのは間違っている!と思っていました。
特に就職すると、色んな意味で能力の差が浮き彫りになるような気がして。
能力がないんだったら時間を使って、それでも足りずに気を使って、まだ足りずに魂削って、それでも評価されるわけじゃない。
考えてみれば人間だって、家の財力とか容姿とか能力とか、もう挙げきれないくらい不公平な状態で生まれてくるわけですよね。
それが納得できない!!!と泣けるのはある意味で恵まれていて、
泣いて主張する余裕がまだあるというか、泣くエネルギーがまだあるというか。
本当に人生の不公平を突きつけられると、もう泣いてる余裕もなくなるんだ、とジョージが教えてくれました。
いや、だって、受け入れるしかないんだもん。不公平。
不公平で当たり前なんだもん。
いくら泣いても喚いても、変わらないことはいくらでもある。
(だから泣きすぎないでくれジョージ!)
ジョージが気に入らないことがあって癇癪を起こす度に、この子は幸せだなぁ、まだなにも諦めてないし、怒るエネルギーもそれをぶつける対象(私です)も持っている。
そう思います。
うちの主人はとても諦めがいい人なのですが、彼は小さい頃から兄弟に揉まれて、ないものは仕方ない、できないものも敵わないのも仕方ない、と納得するのがやたら上手になったようでした。
私は主人に、
『自分が納得できるからって私は納得できない、自分の気持ちを処理するのがうまい人に、私の気持ちはわからないよ!』
と言ってきたのですが、わかってないのはどちらだったのでしょうか。
不公平も仕方ない、しょうがない、と諦めないで生きてこれた私は、それはそれで幸せだったのかも。
いまは時々、そう思います。
戦うだけ戦うと、人って納得するしかなくなるのかもしれません。
色んなものと、戦ってきたもんなー
戦えるための色んなものを、私は持っていたんだということ。
主張するだけなら、ジョージと一緒ですね。
ジョージも今持っているエネルギーを無くさず、主人みたいな『仕方ない』精神も身に付けられるといいな、と思います。