「言っていることも大事ですが、誰が言っているのか」ということをこのブログで投げかけをしています。

 人間関係でのトラブルに巻き込まれないためには、表面的な言動より日ごろの行動と見えないところで何をしているのかしっかりと観察してから判断することが大事であることを、加藤諦三氏の書籍で述べられています。

 

 今日は、昨年の11月にお蔵入りしていたブログをリメイクしました。

 昨年の11月に立憲共産党の塩村あやか氏は、「プロレス芸」と発言し、プロレスを揶揄した言動で社会問題となり、プロレス団体へお詫びへ行ったお話です。

 

 塩村氏が非難されてからプロレス団体へお詫びをしに行ったことや、抗議が殺到してたことに対して「(塩村事務所は)女性の事務員なので、抗議は控えてほしい。」といった言動が問題視されました。

 批判を承知で言えば、「女性だから抗議を控えろ。」というのは、お門違いの言動であり日ごろの塩村氏の言動を振り返り改めることが先です。

 

 6章自己の消滅と愛情要求の項目に「他人によく見られようとする努力はマイナスだ」のところに、「いくら親切にされても、それだけで相手に親しみを感じるものでもない。親しみを感じさせるのは、その人の人柄によるものである。人柄というのは意図的に操作できるものではない。やはり自然と滲み出るものである。」と述べられています。

 加藤氏の言葉を借用すれば、「塩村氏がプロレス団体へ直接出向いて説明し謝ったところでプロレス団体は(塩村氏に対して)本心から塩村氏のことを許すかは別」ということになります。

 

 加藤氏の書籍7章無私の親とよい子の地獄の項目に「無私の親のエゴイズム」のところに、「『俺が囲ってやった』と言っている昔の男性は、たとえば明治時代、たしかにいろいろなことをしてやるが、それは決して女性の幸福のためではない。奉仕といい、愛情といい、それらはあくまでもその前提として‘’囲い’’を認めてのことである。一人の自立した自由な女性としての幸福ではない。」と述べられています。

 

 塩村氏の言動をめぐり、ヤフコメや彼女の言動を見ていると、「プロレスに対して本当に申し訳ない。」というより、自分の政治活動生命が絶たれるといった危機感から、プロレス団体へお詫びへ行ったに過ぎないというのが私の見方です。

 

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