お詫びとお断り

 本日の内容は、ブログを書くときの姿勢を問うものと共同親権を訴えている人をマウントをする人・心のない人といい、貶める行為について抗議するものです。

 (いつもご訪問していただいている方にはご不快な思いになられることをお詫びします)

 

 さて、本ブログでは

親権は「離別しても親と子は親子。子供の意思で面会が自由にでき、養育費の支払いも実感を持てるように離別しても関われることが必要」

 という立場から発信してます。

 

 このことが、養育費の不払い(親権を持たなかった母親に至っては養育費の支払い率が5%)、面会交流(大体40%)の問題を解決策だと確信しているからです。

 

 すべての単独親権派の人が今日ご紹介するような方ではございませんが、単独親権派の人は、論点をずらし、共同親権を訴える人の人格攻撃をしています。

 

 早速内容を見ていきましょう。

 

 今回、ご紹介したブログでは、「共同親権はDV保護を受ける人にとって導入するべきではない」立場から投稿をされているものです。

 離婚と言っても、DVがすべてではなく、母親側の不貞行為で離婚することもありますし、母親側の不貞行為を隠すために警察や市役所へ「DVです」と誇張解釈して連れ去りをする事案もあります。

 ところが、今回の取り上げたブログでは、離婚=夫のDV(もしくは夫の不貞行為)と取られている方で、離婚はすべて夫に原因とお考えの方のようです。

 離婚=DVではない、離別後、親権を持った親から虐待を受けている事案もあることから、共同親権にして離婚しても未婚でもしっかり責任もってかかわっていく制度が必要といったコメントをされた方がいました。

 

 コメント欄では「親権を持った親から虐待されていることがある。親権は離別しても共に持つべき」だといったコメントに対し、

①親権の話から男女差別や病気に関する話へすり替える

②「マウントです」・「ごめんなさいをいいなさい」と人格攻撃を行う

③挙句の果てにはコメントを非開示にする

 といった行為をなされています。

 

 当事者間同士のやり取りとは言えども、共同親権を訴えている人に対して、議論を拒むだけでなく人格まで攻撃するのは許されません。私もブログの執筆者に質問を行いました。

 共同親権を訴える人は「マウントをする人」・「心がない人」と言い、共同親権を訴える人を貶めた行為は、断じて許されません。

 共同親権を貶める発言を直ちに撤回するよう求めます。

 

 更に、リブログ先のコメント欄は、恣意的に開示・非開示にしていることです。リブログ先の他の記事を拝見したところ、他のところではコメントがきちんと開示されているのに対し、親権に関するところは、私を含めコメントしているにもかからわらず、コメントを開示されていません。

 この経過についても、ご質問をさせていただいています。

 日本の法制度の根幹に関する話題をブログで意見表明するときは、批判や懸念点・現状の課題点を踏まえて論じるべきではないのでしょうか。

 子供と面会できず苦しんでいる親や看護親からの虐待で苦しんでいる子供がいるにもかかわらず、自分は親権を持っているのだから関係ないといった姿勢は、親権制度を語る以前の問題です。

 

 今回は、コメントを恣意的に開示・非開示にしていること(自分に都合のいいものは開示し、自分に都合の悪いものは非開示にする)から本ブログから公開質問をさせていただきました。

 

 恣意的にコメントの開示・非開示にした経過をご説明していただきますよう、ご回答をお待ち申し上げます。

 

 

 以下、質問させていただいた内容です。(リブログ先に投稿したコメント)

 

 当方のコメント欄を拝見させていただきました。
 単独親権だと、親権を持った親から虐待を受けた時、子供を守る立場がないことが問題点だと指摘されていますよね?
 その問題点を話しようとしているのに、コメント6で「マウントを取っている」・コメント8で「謝りましょう」というのは、論点ずらしです。
 論点ずらしを裏付けるかのように、コメントの開示を意図的に行っていますよね??
 コメントは、28まであるということらしいのですが、27まで表示されていません。何か疚しいことがあるからコメントを開示しないのでしょうか。
 コメント23以降も指摘があってから渋々開示したではありませんか。

 

 追記

 3月14日の23時ブログのホームページを確認したところ、私のコメントが表示されていました。私のコメントを本ブログで取り上げた後に開示するのは、姑息な行為というものです。

 私が投稿する前にも投稿されたものがあるはずですよ。

 共同親権に懸念を示すのであれば、そのやり取りをすべて開示することが、投稿された方にとって有益になることです。