亡くなる前日の出来事 | KIRIRI38フォーレバー

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2012年8月 結婚が決まって
2012年10月 母が末期ガン(肝門部胆管癌)と診断


2013年2月 結婚式→妊娠
2013年5月 母逝去
2013年10月出産予定

ブログを引っ越そうと思い、その前に回想します。


今日は死亡後の手続きなどで会社にお休みをもらった。

(今までもさんざん手続きしたんだけど)

母の残してくれた死亡保険金、母一人でここまで育ててくれた精一杯の財産。

母の命がお金に変わってしまった。

これ以上の悲しいことなんてないんじゃなかろうか。


引っ越して心機一転なんて当分はできそうにないけど、

もし引っ越し先のブログも覗きたい方がいたら!!

連絡ください。




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亡くなる前日、母の目が開いていました。

正確にはその前の日の夜だったかな、寝るときにガーゼを被せたな。

白目も濁り黒目は少し青く左上を向いていてまばたきもできないため、

目薬を頻繁に差してあげていました。

今思えば母が意思を持って目を開けていたと思うのですが、

その時は私も兄も「目を瞑れなくて可哀そうだ」と思ってしまっていたので

一生懸命瞑らせようとしていました。


夕方、お腹の赤ちゃんのエコーを見たことは書いたけど、

その前のお昼に忘れがたいことがあったので書いておきたいと思ったのです。





いつものように昼は兄も外に出ていて病室は私と母。

お見舞いの友達もよく腰掛けて母に話しかけるのは母のベットの左側でした。

そのためか、母の首は左にずっと向いており、

目も左上を見ていました。



ふと私がおでこを冷やすタオルを取り換えようと左上に行ったとき、

’バチッッ!!’っと母と目が合ったのです。

















目からすごい勢いで「声」が聞こえてきました。







すぐに涙が溢れてしまって視界がぼやけてしまったけど

母の声がはっきりと聞こえました。



「あんたっちゃ、お母さんしゃべれんごとなったけどくさ、これだけは言っとくけね!

お兄ちゃんと仲良くしーよ、これからもう2人しか居らんのやけ」


(方言で母の言葉で書きますのでわからない方すみません)


「分かっとるっちゃ」

私は声に出して言いました。


「それから赤ちゃん育てるの頑張んなさいよ、1人やけ大変やろうけど」


私はもう泣いて頷くことしかできませんでした。




そのあとも母はなんか色々言ってましたけどね(笑)




少し経って泣き止んで母の目を見たけど、もう声が聞こえることはありませんでした。


あーーーもっと泣かずに聞いときゃ良かった!!!!!


だってビックリしたんだもーん目




でもその数十時間後には逝ってしまったもんね、大変貴重なお言葉でした。






しかし思い返せば母は最期まで私たちを困らせることがなかったなぁ・・・


多少の痛みは訴えても、のたうちまわり、わけの分からないことを言うこともなく

実に最後まで「強い」人だったなぁ・・・

闘病中iphoneでたくさんの動画を撮りためていたのでしばらくは色褪せそうにない

この闘病生活。(しかもそのほとんどが「食事中」笑)

見返すと胸の痛みも悪化するけど。

まださすがに結婚式のDVDを見れてない。

ぼっちぼっち前を向いて生きます!

ぼちぼちしてたらお腹がおっきくなってきたけど!

気になる性別がまだわからないけど!




母のような母を目指して。