夕方 5時 ともなると 何が有る訳でもないが落ち着かない。 先月 先々月 のこの時間はまだまだ明るく 『次の現場へ行こうか』等と思っていた気がする。 今では『もう日が暮れてしまった』と思ってしまう。

やはり 古代から日の出から日没までが生活をする時間なんだと改めて思う。


24時間眠らない町 等とキャッチを付けている町もあるが 我々とは違う人種が集まる町なのだろう。いやそうではない、ただ自分の体力が無くなった。もしくは 年なのだろう。いやいやそうでもない 気力がさがっただけなのかもしれない。


さあ そこまで気が付けばどうする。 友人を誘って歓楽街に繰り出すか、それではない。

さがった気力をどうやって戻すのか、つるべ落としで日が暮れる時間は間違いなく早くなって行く。しかし 自分の気持ちを比例させる必要はない。「暑い 暑い」と言っていた毎日が、日に日に少なくなって行く ならば気持ちよく仕事が出来るようになるではないか。


我々はやればやっただけの結果が付いてくる。やらなければやらない様に結果が待っている。

問責が可決されても知らん顔している総理のような訳にはいかない。「君では だめだ」と言われてしまったなんて事になれば大変な事なのだ。その為にも 一日一日 真剣に取り組まないといけないと思う。

確かにこの時期に「やぁ 気持ちが明るくなるね」という人は少ないかもしれないが、季節に左右される事が無いのがいい。 俳人 詩人 でも 季節は季節として受け止め それがいいでもなければわるいでもない。

ただ 時期なのだ。


残暑が厳しいとはいえ朝夕は本当にすごしやすくなった。チャンスではないのか。 日本をひっくり返す様な事はなかなか出来ない。しかし 己に与えられた職に力を注げる季節到来だ。


        感謝 合掌



明日 今年の甲子園の優勝校が決まる。ベスト16あたりから学校名も頻繁に耳にする学校が残ったようだ。有名校は有名校なりの様々な努力がそこに見ることができる。
私は高校時代 応援部に在籍していたので 毎年この時期になると メチャクチャ暑かった事をまず思い出す。学生服が汗で絞れる程になって手を動かすにも足を動かすにも上着やズボンがまとわり付いていた。勿論 野球部の同級生達が頑張っていた姿や エラーをして悔しそうな顔をしていた場面も思い出される。
野球部は有っても学校として甲子園を目指していることがなかったためか 毎年 県大会一回戦負けだったのだが、我々が3年の時には 一回戦を勝ち 二回戦まで進んだ。これが野球部はもちろん我々や吹奏楽部、父母会が大変なことになった覚えがある。誰も二日目を予定していなかったので 応援団や応援部の確保、吹奏楽部員の確保 父母会も 応援に来てくれる人達のための接待をどうしよう 飲み物は、タオルやうちわの用意は・・・ かといって残念ではあったが 二回戦で負けてしまった。
勿論それも懐かしい思い出ではあるが、なにより校旗を持たせた後輩が倒れそうに成りながらでも白目をむき歯を食い縛り立っていたこと、太鼓をたたいていた同級生の手からはマメが潰れて白い手袋が赤く滲んでいたこと、そんな姿を若い社員に見せてやりたい。それが出来たとしても 期待しているような答えは出てこないだろう事もよく分かる。それでもその50%位はと思うがそれも期待しすぎか。
多くの企業が体育会系を望むのはその部分も多くある事を若者も知っているだろうに。楽な道ばかり選んで歩いていてはそれだけの答えしかないのだと知っているだろうに。世の中に魔法がないことも知っているだろうに。そこに 甘い親の顔が浮かぶのだろう。自分たちより親の方が先にいなくなることも知ってはいても理解できていないのだろう。早く気がついて欲しいものだ。

感謝 合掌
日本での ワールドカップとオリンピックの違いは、日の丸を背負っているか そうではないかではないかと私は思っている。私以外も東京オリンピックを知っている者は多くがそうではないだろうか。

第二次世界大戦が終わり20年、鉄道では当時最速と言われた東海道新幹線が運用開始、道路網では名神 東名 の高速道路が開通、東京都内では高層大規模ホテルが続々完成し、廃虚にされた国がたった20年でオリンピックを招致し開催、国民の中では代理戦争の思いがかなりあったのではないだろうか、少なくとも私はそんな気がしていたし、出場した選手たちも最前線に立ち向かうつもりで競技に参戦した選手も多かったはずだ。
それが今では、「楽しく出来ました」と言う選手が多い。「町内運動会で今日は一日楽しかった」と一緒にするな、と思う。今日まで必死に練習してきたんだろうに。こんなことも きっと マスコミ誘導だ。「選手の皆さん十分楽しんで来てください」などとテレビやラジオでしゃべっていた。可哀想にそれが是だと思わされているのだ。
「日の丸背負ってます」と言わなくてもビシビシ伝わってくる選手も多くいる。その対比が現れたのが男子のサッカーと、女子のバレーボールだ。どちらも3位決定戦の相手が韓国だった。テクニックだとかスタミナだとか 互いに感じない程度だと思うが、男子サッカーはボロ負け、女子バレーボールは圧勝。この差は何なのか。それは『気持ち 』でしか表現のしようがないのではないか。試合をする必要などない。戦火を交える前から既に負けているのだから。そんな気さえする。
当時 特攻隊の皆さんは圧倒的な負け試合だと思ってもそれを逆転しようと命をかけたに違いない。それが今では 今言った通りだ。
個人では勝利出来なかったがチームでは勝利した。そんな競技も多く在り 一丸となれたチームとそこまで思いが一つに成らなかったチームの差ではなかろうか。卓球、フェンシング、北島を加えた水泳のメドレーリレー、どう贔屓目に考えても 男子サッカーだけは納得出来ない。チームのまとまりもなければ 勝つ事に必死さが感じられなかった。
正に今の日本の家電業界さながら、「勝てないならそこまで頑張らなくてもいいか、リストラすれば会社は何とかなるだろうし、誰か他の者が何とかするだろう」そんな感じだ。
竹島問題、尖閣諸島問題、北方領土問題、TPP問題、北朝鮮の拉致問題。戦争をしようと言っているわけではない。そのうち誰かが何とかするだろう。これでは勝てない。
今回のこのオリンピックも平和ボケの象徴か「寝不足で」が 挨拶になっている。

感謝 合掌





月に一度の協力会がまた明日の夕刻開催予定だ。
先月は安全大会という事で通常の協力業者の他にスポットで応援してもらう業者さんにも来てもらったのだが 明日はいつもの中心メンバーに集まってもらう。
独自で毎月現場パトロールをしているので その報告やら今後の方針やらを手短に通達し理解賜るわけだ。ただ 通達だけの作業なら集まってもらう必要はないのだが、私が話をする15分 これはやっぱり 顔を見て反応を確認したい。『本当に話を聞いているのだろうか、これからもこの業者さんとタッグを組んでいて良いのか』等々。
当社も時代に合わせた対応に苦労している訳で、協力業者の方々もそれに同調してもらわないと一緒に歩いて行けない。その部分を何とか理解して欲しくて話をするのだが、どの業者さんも どうも自分の事で精一杯、『人の話なんて聞いてられるか』と言ったところだ。
どの業者さんもまだまだ私よりずっと若い まだこの先の方が永いと思うのだが、もっと真剣にこの先の事を考えなければいけない そんな事も含んで話をさせてもらっているのだが・・・・

昨日と同じことを今日、今日と同じことを明日、では 生き残る事さえ難しい世の中なのだと一日も早く気がついて欲しいものだ。

感謝 合掌

誰かが「桐山さん ブログ書いてるんでね」などと言われると つい いい気になって「ええ まぁ 面倒なんですが 始めてしまったので」と言いながら 少々ドヤ顔をしている自分が今では情けなくなる。

先月の半ばにやっと更新をし 既にもう今月も6日になる。


確かにその間 アクシデントもあったのだが良い訳にはならない。

ただ 自分としても初めての経験だったのでそのことだけは、ここに記しておきたい。


先月26日の夕食は友人達と町の居酒屋へ出かけ、いつものように 自分の気に入ったものを気に入っただけ注文をして 「最近の政治は・・・・、景気は・・・・、」といつもの調子で9時頃まで楽しんだ。

元来酒を呑まない私はいつものようにそのまま自宅に帰った。

その日 女房は孫を連れて鳴門海峡まで行っていて 家では私一人だった。10時半頃だったと思うがなんだか吐き気がしてきた。『妙だなぁ いやな感じだなぁ』 思っている間に我慢出来なくなりトイレに駆け込み、すさまじい勢いで嘔吐し、それが収まったかと思う間もなく腹が下り、また吐き気がしてくる。そんな繰り返しが30分も続いたのではないかと思うが定かではない。


これは食中毒出はないか、なんとか医者にも行きたかったのだが残念な事に「車出してこい」と言える女房がいない。そこで 娘婿に「迎えに来てくれ」「どうされましたか」「何でもいいから今から来い!」気の毒な事だ。夜中に訳も聞かされず呼び出され、あげく 私を医者に乗せていかなければならず。行った先の岐阜日赤病院で調書も書かされながら 分からない状況を聞かれ、2時間も付き合わされてしまい、私は結局そのまま入院する事になったので、娘婿に「明日 朝礼で 入院する事になった」とだけ社員に伝えてほしいと言って帰した。


診察をして頂いたドクターが 白血球が以上に多い事に気をとめられ「白血球が多くなる事は仕方がないが 多くなりすぎなのだ」と説明して頂いた。 それと その他に肝臓の数値もあまり良くないとの事で「とりあえず検査をしながら 1週間は入院して下さい」 私とするなら ”まな板の上の鯉”の状態で、答えは 「分かりました」 としか言いようがなかった。


それでも4,5日もすると 順調に白血球の数値も下がり 肝臓の数値も正常に近づき 何とか6日目に退院する事が出来た。


今後またこんな経験をしたくはないが、今回の入院は良い休養になったような気がする。


いい年をしているので 本来なら休養ではなく右肩下がりの体力を維持する為に 少しでも鍛えて 体力が落ちてゆくスピードを遅くするべきなのではないかと思うのだが、今年の猛暑を考えるといまではスタートしにくい。ここが甘いのだろう。


ともあれ 何であれ やるぞと決めたブログなので これからもまずは続ける事からだと 今日も反省。


          感謝 合掌