人間が、生きる理由について考えてしまうのは。

「どんなことにも必ず原因と結果があり、物事には理由がある」と考えてしまう生き物だからなのでしょう。

 

だって。

うちの猫のポル姉さんもプクも、クワガタのクワ太郎も、なんの理由も意味もなく、生きてますもの。

 

人間って面倒。

 

人生50年どころか、100年を越える時代です。

長寿時代には長生きは、恩寵ではなく、リスクにもなりかねません。

編集さんとの新年会で、そんな時代に生きていくには何が必要なのか、という話になりました。

 

たとえば、音楽を極めたいという強い気持ち。

スポーツでも、絵を描くことでも、小説でも。

占いの研究でも、釣りでも、ボランティアでも。

どんなことでも、これをしたいという意欲があれば、それが生きていく理由になります。

 

でも。

特にない、という人のほうが多いでしょう。

 

多くの人にとって、生きる理由とは、

「自分を必要とする誰か」なのではないでしょうか。

 

子供のために。

家族のために。

仲間のために。

ペットのために。

 

世話しなければならない誰か、自分を頼る誰かのために。

 

昔、わたしは、こういう考え方が大嫌いでした。

誰かのために生きるなんてまっぴらだし、

自分自身も誰かの命をしばる、足かせになんてなりたくないと思っていたのでした。

 

でも。

 

足かせは、命綱でした。

 

わたし自身も今、

占いを極めたい、小説を書きたいという自分自身のしたいことと同じくらい、

家族や大切な人たちのために生きているのだと自覚しています。

 

人生100年の時代を生きるために必要なのは、

一杯のお茶をともに楽しむことのできる誰か、なのかもしれません。

 

 

新年会は、横浜中華街の老舗、同発。

 

 

 

 

 

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