ファンタジーの読書会「ファンタジー研究会」のテキストとして、エリナー・ファージョンを初めて読みました。


ファージョンはアンデルセンの詩情を継ぐ作家として、「第1回国際アンデルセン賞」を受賞しているので、童話と思って読み始めたのですが……とんでもない!


気付いたら、緑深い森の奥の「物語の源泉」にたどりついていました。


今回ファンタジー研究会のレポーターとなってくださった方は、少女時代にファージョンを読んで熱烈なファンとなり、作中に出てくるイギリスのサセックス地方を単身巡る旅をして、ファージョンで論文も書かれたという筋金入りの愛読者です。


それほどまでに強く少女を惹きつける魔法のような魅力について、主に未読の方に向けて、「りんご畑のマーティンピピン」という作品を紹介しながら探っていきたいと思います。


「りんご畑のマーティンピピン」は、語り口調の民話ふうの物語です。吟遊詩人やとらわれの王女や羊飼いが登場し、ストーリー運びもどこか懐かしく、既視感があります。しかしそんなふうに思う読者はもう、ファージョンの魔法にかけられているのです。作品冒頭で、サセックス地方の少女たちの間で古くから伝わる遊び歌が紹介されているのですが、実はこれは「ファージョンの創作」なのです。


どこか懐かしく感じるすべてが、実はファージョンという1人の作家の頭の中でできあがったものなのです。


何世代も読み継がれる名作は、その背景や骨子に、古い民話や神話が組み込まれている場合が少なくありません。口伝えで何百年何千年と受け継がれてきた人の無意識の構造が、物語に生き生きとした生命力と尽きることのない力を与えるのです。


ところが、ファージョン作品は、民話ふうの体裁をとっていながら、作家の創作であることに驚きます。その背景には、ファージョンという作家の普通ではない生い立ちが深く関係しているのです。


ファージョンは一度も学校に行っていません。家中にあふれる本を読んで、想像の遊びをして育ったファージョンは、もし現代に生まれていたら、ネットを駆使する不登校児となっていたかもしれません。


1981年、19世紀末のロンドンにファージョンは生まれました。作家の父と女優の母の教育方針で学校には行かず、好きなだけ本を読み、幼い頃から一流の演劇、オペラ、コンサートなどを鑑賞して育ったのです。自宅は、流行作家や詩人、俳優が集まるサロンのようだったとか。


ここでまた、ひとつの疑問が生じます。ファージョンが描く、田園風景や自然の描写は、まるで緑の野で羊飼いの娘として育ったかのようにリアルなのに、実際は都会育ちなのです。つまり、ファージョン作品にあふれる自然の描写は、幼い頃実際に見て体験した自然ではなく、自宅書庫の「書物の森の中」でファージョンが見つけた自然だったのです。


長じてファージョンはサセックスに住むことになるのですが、サセックスの緑豊かな自然が、自然豊かな作品を書かせたのではなく、ファージョンは「想像の中にあった田園風景」を、大人になってサセックスに行って「発見」したのです。


ファージョンの魔術的な魅力は、作家の想像力という小径をたどって、民話や神話が生まれる無意識の源泉にたどりつくことができるところにあります。


だからこそ「ファージョンという名の泉」に、たくさんの少女たちが魅入られ、夢中になってきたのです。


「りんご畑のマーティンピピン」は、戦地からファンレターを送ってきた30才の男性読者に向けて手紙という形で書かれた作品ですが、少女のみずみずしい感性と豊かな愛情にあふれています。


物語の語り手は、吟遊詩人のマーティンピピンです。井戸屋形に閉じこめられた少女を監視する6人の乳しぼり娘たちに、マーティンが6つの恋の話を語るのです。


6つの作中作は、熱烈な恋物語や、大人のほろ苦い恋物語や不思議な出生の物語などさまざまで、魔法の物語のようでありながら、現実的なもうひとつの解を提示している雄ジカ王の話など、小説としての技巧でも楽しませてくれます。個人的には、幻想的な水車場の話が、あとあとまで心に残り、年月を経てまた読み返してみたいと思いました。


歌うような語り口も、ファージョン作品の大きな魅力です。同様に6つの作中作が含まれた、続編の「ヒナギク野のマーティンピピン」中の、「エルシーピドック夢で縄跳びする」は独立した絵本となり、物語を空で覚えて語る「素語り」の名手に愛され、長く語り継がれてきました。


ファージョンはいまや古典です。児童書として一世を風靡したかつての勢いはありません。けれど、今回のレポーターは力強く言いました。


「これからも、この先ずっと、ファージョンの魅力の虜になり、熱烈な愛読者となる少女はかならず一定数いるはずですから、決してファージョンは消えることはありません」


わたしもそう思います。


読んでくださってありがとうございました。


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