太宰治が、芥川賞を欲しくて欲しくて欲しくて、

芥川賞選考委員の佐藤春夫に送った4メートルの手紙が

ニュースになっていました。


太宰治本人にとっては、

まさに黒歴史でしょうが

気持ちは、……わかります。

小説を書いている人なら、

大なり小なり、

みんな、持っている気持ちなのではないでしょうか。


実はわたしは、

太宰ほど自分に正直になれなくて

あとで後悔したことがあります。


わたしは、高校生の時に衝撃を受けて以来の、

小松左京ファンです。

その名前を冠した、小松左京賞に応募して、

第1回、小松左京賞努力賞を受賞することができたとき

もうとてつもなく、天にのぼるほど嬉しかったのです。


しかし、努力賞というのは、大賞に届かなかった残念賞であり、

編集さんから「また来年がんばってください」と言われて、

次の年も、次の年も応募して、

間をあけてそれから二度応募しましたが、

大賞を取ることはできませんでした。


その間ずっと

第1回努力賞受賞者として、

毎年の授賞式には招待されながら、

いまだに自分は公募チャレンジャーであり、

落選し続けているという、

なんとも中途半端で宙ぶらりんな

10年間。

そして、小松左京賞は10年で終了しました。


終わったときに、

ああこれでもう応募できないという残念感と、

これでもう応募しなくていい、という安堵感と

両方あったのをおぼえています。


太宰の話に戻りますが。


努力賞受賞してから、大賞に応募していた10年の間、

もしかしたらいろいろできたことはあったはずなのです。

編集さんにその年の受賞傾向をおしえてもらうとか、

プロットを見てもらうとか、

アドバイスをもらうとか。

でもそういうことがすべて、

ほかのチャレンジャーの方々に対して申し訳なく思えて

できませんでした。

毎年年末に行われていた小松左京先生の個人的な忘年会にも

数回行っただけでした。毎年行こうと思えば行けたのに。

小松左京先生に、

「どうかどうか伏してお願いいたします」とお手紙を送ることだって

できたのに……。


わたしは、自分自身の

ち~っぽけなプライドが邪魔して、

太宰のように懇願の手紙を書くどころか、

編集さんに頼ることさえできなかったのでした。


太宰は、黒歴史をほじくり出されて断腸の思いでしょうが、

それほどに、

それほどまでに、

強い想いを抱いていた太宰を

ほんの少しうらやましくも思うのです。



でも。

やっぱりわたしには、できない!……苦笑。