MGF教会週報礼拝黙想2006年2月26日 | マラナサ・グレイス・フェローシップ(MGF)の礼拝黙想

マラナサ・グレイス・フェローシップ(MGF)の礼拝黙想

MGF教会週報礼拝黙想バックナンバー集 執筆者 MGF牧仕 菊地一徳

創世記6章の「ネフィリム」とは、果たして「神の子ら」と呼ばれる“堕落した天使”(悪霊)が、人間の男性にとりつき、精子内のY染色体遺伝子に何らかの突然変異をもたらした上で、人間の女性に身ごもらせた“堕落した巨人”だったのだろか? 実は新約聖書がその事実を裏付けている。「神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました」(Ⅱペテロ2:4,5)。「罪を犯した御使いたち」とは、創世記6章の「神の子ら」を指す。「地獄」(タルタロオー)という言葉はここだけに使用されている用語であるが、ギリシャ神話“タルタロス”(奈落の神、かつ奈落そのもの)を語源としている。そこは地下世界の最深部に広がる暗黒の奈落で、冥府(死の世界)「ハデス」よりもさらに下方にあると言われる。後にプラトンはそこをただの地獄と解した。タルタロスは、ゼウスとの戦いに敗れた神々の牢獄と言われる。そこには一眼巨人キュクロプス、百腕巨人ヘカトンケイル等の巨人たち、ならびに巨神族ティタン等が拘束されている。こうした巨人、巨神は、「ネフィリム」を思い起こさせる。ペテロは“タルタロオー”という用語を使ってもギリシャ神話を信奉していたわけではない。新約に使用されている「ハデス」という言葉も旧約の「シェオル」の訳語であって、その概念はギリシャ神話のハデスとは異なる。実際にペテロが言う、“タルタロオー”は、旧約の「シェオル」=新約の「ハデス」(最終審判を待つ刑務所)の中の最底部に相当する所だと考えられる。ペテロがあえて巨人や巨神が落とされたタルタロスという用語を用いたのは、「罪を犯した御使い」がどんな罪を犯したのかを連想させるためだと考えられる。それはまさに堕落した巨人ネフィリムを生み出した罪だと思われる。「さばきの時まで暗闇の穴の中に閉じ込められる」とは、「大きな白い御座のさばき」(黙示録20:11)と呼ばれる最後の審判までそこに幽閉されていることを意味する。その後、最終的に火と硫黄の池「ゲヘナ」に投げ込まれる。並行箇所としてユダ1:6、7も同じことを証明している。「また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています」。「自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたち」とは、まさに人間と性的関係をもった堕落した天使のことを指す。「大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました」とは、最後の審判まで「暗やみの下」、厳密にはハデスの最も低い所(タルタロオー)に幽閉されることを意味する。人類史上最悪の性的堕落の象徴であるソドムとゴモラの「好色」「不自然な肉欲」が、堕落した天使と人間との異常な性行為と結び付けられている点は注目に値する。また、ガリラヤのゲサラ地方で人間にとりついた「レギオン」という悪霊たちはイエスによって「底知れぬ所」に行け、と命じないようにと懇願した記事(ルカ8:31)も重要なことを示唆すると思われる。悪霊はそこへ行くことを非常に恐れ、悲鳴をあげたのだ。「底知れぬ所」とは“タルタロオー”なのかもしれない。現在、悪霊による子孫ネフィリムが生まれていないのは、「底知れぬ所」に送還される刑罰への恐れによって、悪霊の行動が抑制されているからだとも考えられる。さらに、Ⅰペテロ3章19,20節にも興味深い言及がある。「その霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです」。「捕われの霊たち」=「ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たち」は、人間ではなく「霊」、即ち人間に憑依してネフィリムを生み出した堕落した天使(悪霊)を指す。イエスは死後から復活するまでの間に、ハデスにくだり、堕落した天使にみことばを宣べられた。勿論、彼らに福音伝道したわけではない。彼らはすでに永遠のさばきに定められている。それではイエスは彼らに何を語られたのか?おそらく、イエスを信じて神の子供とされた者が、二度と悪霊にとりつかれることはないとの勝利宣言、解放宣言をされたのだと考えられる。結局、サタンの陰謀はイエスによって完全に打ち砕かれたのだ。